この作品は、若い読者向けに書かれた寓話形式の読み物になっています。ストーリーは単純明快でコメディーの要素も盛り込まれていますが、読後に少しだけ複雑な感触が残りました。
【要旨】
- 羊男がシドニー・グリーンストリートの僕の探偵事務所に現れた。
- 依頼を請けて乗り込んだ羊博士の家で繰り広げられるドタバタ騒ぎ。
- 「あんたたちフロイトとかユングとか読んだことないの?」僕の彼女ちゃーりーの言葉で事態はあっという間に収拾される。
『羊男として』
要するに我々はただの羊男でありまして、羊男として平和に暮したいと願っているだけなのです。羊男としてものを考え、羊男として食事をとり、羊男として家庭を持ちたいのです。
『羊男』を自認する小男の素性はつかみどころのないものでした。「奪われた羊の衣装の右耳をとりかえしてほしい」という奇妙な依頼。右耳を奪った『羊博士』もこれまた不思議な存在として描かれています。
『フロイトとかユングとか』
いくつもの疑問を棚上げにしてドタバタ劇が繰り広げられたあとで、ピザ・スタンドのウェイトレス『ちゃーりー』の天の一声が投げかけられます。
はじめてこの物語を読んだとき、いったい何が起きたのか、ボクには皆目分からず途方にくれました。「村上主義者」を自認する今では、頭ではこの話を理解することもできますが、最初に読んだ時の感触は変わらず、今でもボクのなかでは『羊男』と『羊博士』の不調和を解決出来ずにいます。
【神話的構造】
『羊男』や『羊博士』は心理学者のユングの理論に沿えば「成熟を拒否する少年性」や「乗り越えるべき父性」といった《アーキタイプ(元型)》を象徴していると考えられます。人の心には、太古の昔から受け継がれた人類共通の《元型》が組み込まれていて、こうした人の無意識に結びついたさまざまな神話は、寓意を読み解くというよりは、心の在り様を感じとるものと考えられます。
後に《セカイ系》と呼ばれるファンタジーの源流が、この作品の頃からすでに始まっていました。世の中を見渡し始めた若い世代の人たちに、ぜひこの作品を読んでもらいたいと思います。