本作は機知に富んだ会話とトボけた間の取り方が楽しい戯曲風の作品です。テーマの掘り下げはさほど深くありませんが、興味深い着想を含んでいます。
【要旨】
- 「僕」は渋滞の道路上でタクシーの車内に閉じ込められている。
- 「吸血鬼って本当にいると思います?」の問いかけ。
- 不思議な体験のあとの彼女とのしっくりこない会話が印象に残る。
『車内での会話』
「吸血鬼って本当にいると思います?」
「キューケツキ?」僕は呆然としてバックミラーの中の運転手の顔を眺めた。運転手もバックミラーの中の僕の顔を眺めていた。
「キューケツキって、あの血を吸う・・・・・・?」
この会話のあとで、物語は奇妙な方向に展開します。二人の会話が作品の魅力の大半を占めているのでこれ以上引用は避けますが、幽霊と吸血鬼の違いを巡る屁理屈や、話の信憑性に態度を決めあぐねる「僕」の様子がユーモラスに描かれます。
『彼女との電話』
「ねえ、ところで練馬ナンバーの黒塗りのタクシーには当分乗らない方がいいよ」
「どうして?」と彼女は訊ねた。
「吸血鬼の運転手がいるから」
「そう?」
この後の彼女との電話のやりとりもなかなか良いです。彼女のしらけた雰囲気が、僕の気持ちの熱量をどんどん下げていくところに、小気味よさすら感じられます。
【異界との出会い】
失意のなかをさまよう旅人(ワキ)は、化身の姿をした異界の者(シテ)と出会う
このような異界と現実が交差する能の様式を『夢幻能』と呼びます。古くから人の負の思念を癒す芸術として受け継がれてきました。村上春樹はこの古典様式を作品に応用することで、日本発のマジックリアリズムを作り上げています。
そもそも、説明のつかない出来事というのは、自分のなかの内的要因と、その出現を待ち望む外的要因によって起こるべくして起こるとも言われます。そうした不思議との出会いによって、ボクたちはいつだって人生観の変更を迫られています。
村上作品の偉業への第一歩と思われる本作ですが、まだ試行錯誤中なためか不完全な形で終わっています。異界とは何か、魂の癒しとは何か。語られていない事柄をあれこれと想像することが、逆にこの作品の魅力にもなっています。