本作には、《孤独》の闇のなかでひたすらスパゲティーを作り続ける主人公の姿が描かれています。 ボクら大人たちが待つ「まっとうで平凡な世界」を目前にして、この若者はいったい何を躊躇しているのでしょうか? 自分自身の若く未熟であった頃にも思いを巡らせてみたいと思います。
【要旨】
- 1971年、それは僕にとってスパゲティーの年だった。
- 僕は一人でスパゲティーを茹で一人で食べ続けた。
- 知り合いの消息を尋ねる電話がかかってきたとき、僕は過去の繋がりを断ち切るように空想の鍋に空想のスパゲティーを投じる。
【孤独のスパゲティー】
春、夏、秋、と僕はスパゲティーを茹でつづけた。それはまるで何かへの復讐のようでもあった。裏切った恋人から送られた古い恋文の束を暖炉の火の中に滑り込ませる孤独な女のように、僕はスパゲティーを茹でつづけた。
それは恨みか当てつけか、それとも自己破壊の願望でしょうか? いずれにせよ「僕」は取り憑かれたようにスパゲティーを茹で続けます。そんなある日、昔の知り合いの男性の消息を訊ねる電話がかかってくるのですが・・・。
「悪いけど」と僕は繰り返した。「今スパゲティーを茹でてるところなんだ」
「うん?」
「スパゲティーを茹でてるんだ」僕は鍋の中に空想の水を入れ、空想のマッチで空想の火を点けた。
青年期に挫折を味わうことで、あるいは、孤高の理想にあこがれて孤独に浸った経験は誰しもあるのではないでしょうか。自尊心がこころに垣根を作り、人間関係に深い堀が掘られ、孤独が孤立に変わり始めると、心は徐々に蝕まれていきます。
人は一人じゃ生きていけないんだ
こんな簡単なことに気付くまでに、長い長ーいトンネルをくぐり抜ける羽目になろうとは、あの頃のボクも気づくことが出来ませんでした。
【孤独の効用】
以前のボクは孤独な気持ちになるたびに、数学の世界に没頭したものです。社会の矛盾や混乱と比べれば数字の世界は崇高でエレガントで、その抽象性を追いかけて読み解けば、必ず深い幸福感に浸ることができるからです。
何かのきっかけで、村上春樹の『女のいない男たち』という短編集に出会って、論理の緻密さとモラルの確かさに衝撃を受けたのを今でも覚えています。それまでのボクは小説を読むなんて時間の無駄としか思えなかったのですが・・・。村上作品を読み解くことが数学と同じか、それを上回る充実感をもたらすことを知ってから、ボクの視界は一気に広がりました。
孤独のスパゲティーをゆで続けていたのが自分であるような気がして、懐かしい気分になった作品でした。