村上春樹レヴューのブログ

自称村上主義者の私が独自の切り口で作品をご紹介します。

【1973年のピンボール】

f:id:Miyuki_customer:20210429161617j:plain

 本書には村上作品でおなじみのモチーフが続々と初登場します。主人公を導く双子のアニマ、僕と鼠のパラレルワールド、井戸掘りに異界との交信等々。どれもこの中編作品のなかには収まりきれないアイデアばかり。タイトルはあからさまに『万永元年のフットボール』をもじっていますが、むしろ大江文学とは真逆の新しい文学を模索した作品になっています。

 

【あらすじ】
ある日、何かが僕たちの心を捉え、それは僕たちの心を彷徨い、やがてもとの場所に戻っていく。ささやかなものたちによって、僕たちの心に掘られた幾つもの井戸。その秋の日曜日の夕暮時に僕の心を捉えたのはピンボールだった。

 

『僕の物語』

 果てしなく続く沈黙の中を僕は歩んだ。仕事が終るとアパートに帰り、双子のいれてくれた美味しいコーヒーを飲みながら、「純粋理性批判」を何度も読み返した。時折、昨日のことが昨年のことのように思え、昨年のことが昨日のことのように思えた。

 

「Seek&Find(探し見つける物語)」頽落的な日々のなかで、探索の動機は何処からやってくるのか、いったい何を探し求めれば良いのか。主人公が模索する何かは、新人作家村上春樹が模索するそれと重なり合って見える。

 

『鼠の物語』

目を閉じた時、耳の奥に波の音が聞こえた。防波堤を打ち、コンクリートの護岸ブロックのあいだを 縫うように引いていく冬の波だった。これでもう誰にも説明しなくていいんだ、と鼠は思う。そして海の底はどんな町よりも暖かく、そして安らぎと静けさに満ちているだろうと思う。

 

「ハードボイルドタッチの物語」鼠が突き進む『死への先駆』のテーマは、ここではチャンドラー風の文体によって語られる。これまでの純文学にはない新たな試み。

 

【聖杯伝説】

 病の床にある王から聖杯探求の使命を与えられた騎士は、数々の試練を乗り越え最終的に聖杯を発見して、王の病は癒され騎士は祝福を受ける。このような《聖杯伝説》は冒険ファンタジー物語で好んで取り上げられるモチーフです。

 

  本書は直子を亡くした哀しみで心を蝕まれていた「僕」が、双子たちの導きによってイニシエーションを通過していくうちに、聖杯ならぬピンボールに出会うという《聖杯伝説》のバリエーションです。心理学的には、自我の後退によって《イド(無意識)》を掘り下げていった主人公が、自己の調和を取り戻した話と見ることも出来ます。

 

 一方の鼠は傷ついた自我を抱えながらも、運命を受け入れようとしています。このような選択の先に『良心の呼び声』を聞くと哲学者のハイデガーは語っているのですが、本書ではまだ試行錯誤の段階にあるためか、明確な結末は提示されません。

 

   作者の村上春樹はこの作品の完成後に作家人生の岐路に立ちます

 

 喫茶店の経営を続けながら趣味の執筆を続けていくか、それともすべてを投げうって職業作家の道を選択するか。本書は過去の文学へのアンチテーゼという方向性を示したものの村上文学の本筋には至っていません。次の作品で作者の真価が問われるのですが、それについてはのちほど。