村上春樹レヴューのブログ

自称村上主義者の私が独自の切り口で作品をご紹介します。

【羊をめぐる冒険(上)】

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 本書は職業作家の道を踏み出した作者の初の長編作品。世界各国の言語に翻訳されてハルキ・ムラカミのイメージを形作った代表作でもあります。変則的な時系列や入れ子構造の歴史挿話など、複雑さに加えて内容も盛りだくさんとなっています。文庫版の(上)(下)巻に沿って2回に分けて投稿します。

 

《あらすじ》
ある日、黒服を着た不気味な男が「僕」の事務所にやってきた。彼は事務所が製作した広告に写っていた羊に関心があるという。全ての始まりは1年前に旧友の鼠から届けられた1枚の羊の写真。「僕」は不思議な力を持つ耳モデルのガールフレンドと共に羊を巡る冒険を開始する。

 

『奇妙な午後』

1970年11月25日のあの奇妙な午後を、僕は今でもはっきりと覚えている。強い雨に叩き落とされた銀杏の葉が、雑木林にはさまれた小径を干上った川のように黄色く染めていた。(中略)午後の二時で、ラウンジのテレビには三島由紀夫の姿が何度も何度も繰り返し映し出されていた。

 

冒頭に「三島の自決事件」に対する世間の無関心な様子が描かれています。それは、かつて理想を追いかけた若者たちの「政治の季節」が終りを告げる光景でもありました。

 

『何もない十年間』

僕は二十九歳で、そしてあと六ヶ月で僕の二十代は幕を閉じようとしていた。何もない、まるで何もない十年間だ。僕の手に入れたものの全ては無価値で、僕の成し遂げたものの全て無意味だった。僕がそこから得たものは退屈さだけだった。

 

鼠からの依頼で心の原点ともいえるジェイズ・バーを訪れた「僕」は、自分自身の二十代を振り返ります。酒と煙草とジャンクフードに明け暮れた都会暮らしで、かつての理想や夢と現実のあいだには深い溝が生じていました。

 

『冒険が始まる』

「ねえ、あと十分ばかりで大事な電話がかかってくるわよ」「電話?」僕はベッドのわきの黒い電話機に目をやった。(中略)「羊のことよ」と彼女は言った。「たくさんの羊と一頭の羊」「羊?」「うん」と言って彼女は半分ほど吸った煙草を僕に渡した。僕はそれを一口吸ってから灰皿につっこんで消した。「そして冒険が始まるの」

 

村上作品ではおなじみの《シーク&ファインド(探し&見つけ出す)》が始まる場面です。妻と離婚し貯金もなく名声も社会的信用もない。失う物が何もない「僕」は新しいガールフレンドに導かれるようにして冒険が始まります。

 

《虚構の時代へ》

 社会学者の見田宗介は近代史を《理想の時代(1945-60)》《夢の時代(1961-75)》《虚構の時代(1976-)》に分類しています。戦後民主主義を掲げた《理想の時代》は安保闘争で挫折し、高度成長期に《夢の時代》を迎えますがオイルショックで失われ、それ以降は現実の中の虚構性が露呈し始める《虚構の時代》に入ったとされます。

 

 本書はそんな《虚構の時代》の不安感や喪失感を描いています。「僕」はこの冒険が『自分の残り半分』を探す旅であることを感じつつ、謎の羊を求めて北海道へ旅立ちます。旅の過程で羊の起源も明らかになりるのですが、それは私たちの近代史が置き去りにしてきた暗い過去と結びついていました。物語の謎が解き明かされるにつれてボクはこんな思いに駆られました。

 

 《理想》や《夢》を追う前にボクらの社会は為すべきことがあるのかもしれない

 

 物語はこのあと北海道の大地を舞台にして、開拓民の苦難の歴史や雄大な季節の移り変わりが描かれていきますが、このつづきは『羊をめぐる冒険(下)』のブログにて。