村上春樹レヴューのブログ

自称村上主義者の私が独自の切り口で作品をご紹介します。

【ローマ帝国の崩壊・一八八一年のインディアン蜂起・ヒットラーのポーランド侵入・そして強風世界】「パン屋再襲撃」より

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 本作は長いタイトルに反して本文は12ページと短く、歴史上の史実にも深入りしていないので読みやすいかと思います。タイトルの『ヒットラー~』の部分が目に留まったのか、ドイツ語に翻訳された最初の作品となりました。かつてドイツでは村上作品の重訳(英訳⇒独訳)をめぐる論争*1も起きていて、そこに真面目なドイツ人気質を見る思いがします(^^;)

 

《あらすじ》
台所で一週間分の日記をつけていると、窓の外を吹き抜けていく激しい風のうなりに気がついた。予報では降水確率0%の全盛時のローマ帝国のような平穏な日曜日のはずなのに。僕は今日一日の簡単なメモに「ローマ帝国の崩壊」と記した。

 

『一週間ぶんの日記』

そのとき僕はいつものようにーーーつまりいつも日曜日の午後にそうするようにーーー台所のテーブルの前に座って害のない音楽を聴きながら一週間ぶんの日記をつけていた。僕は毎日の出来事を簡単にメモしていて、日曜日にそれをきちんとした文章にまとめることにしているのだ。

 

『僕』は22年間欠かすことなく日記を書き続けている。数値化された情報こだわり、映画や音楽に対するやや偏った嗜好をもつ、この世界ではごく普通の社会人のひとりだ。

 

『強風世界』

 「でも、どうして突然あんな激しい風が吹いて、それがまたぱたりとやんじゃったんだろう?」と僕は彼女にたずねてみた。「さあ、わからないわ」と彼女は僕に背中を向けて、爪の先で海老の殻をむきながら言った。「風については私たちの知らないことはいっぱいあるのよ。・・・」

 

風が止むと何ひとつ変わらない景色に戻っていた。『僕』は窓の外で吹き荒れた強風の意味についてぼんやりと思いを巡らせる。いつしか歴史が終焉してしまったこの世界で・・・。

 

【歴史の終わり】

 国家が成立、発展、崩壊を繰り返してきた過程を近代化のプロセスとすれば、民主主義と自由経済が実現した安定持続社会はその最終形態と見なすことも出来ます。政治経済学者のフランシス・フクヤマはこのような状況を《歴史の終わり》と呼びました。その一方で、人々の関心は個別細分化し、社会通念を持たない個人史が刻まれる状況が加速度的に進んでいます。

 

 本作に登場する『ローマ帝国の崩壊』『1881年のインディアン蜂起』『ヒットラーポーランド侵入』といった政治体制の興亡は、日記を記述するための単なる記号として扱われていて、まさに《歴史の終わり》的状況を感じさせます。さらに日記の中身はといえば、事実に反することもごちゃまぜに記述されていて、孤立化していく個人の脆弱さが漂います。

 

  2021年の現在、物語が描くディストピア観は急速に現実味を帯びてきました

 

 主人公の「僕」に劣らず、日々の氾濫する情報に右往左往し、映画や音楽の趣味は偏向的で、吹き荒れるコロナ禍の猛風世界を呆然と見届けるボクは、愚にもつかないブログを今日も更新しています(-_-;)

*1:国境の南、太陽の西』のドイツ語版が、英語からの重訳であることをスキャンダルとして問題視した論争。