村上春樹レヴューのブログ

自称村上主義者の私が独自の切り口で作品をご紹介します。

【世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド(上)】

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  この作品は一人の人間の《意識》と《無意識》の世界が交互に描かれます。

 

 初めて読んだときには現実離れした娯楽作品のように思っていたのですが、改めて読み返すと、壁に囲まれた街の成り立ちにはユング心理学の裏付けがあり、計算士の脳に組み込まれたプログラムはポストモダン思想を見立てていたことがよく分かりました。

 

 各種メディアに影響を与えた革新的なアイデアと、細部を掘り下げるほどに飛び出す示唆に富んだエピソードの数々。文庫版の構成に従って(上)(下)2回に分けてご紹介します。

 

【あらすじ】
『世界の終り』では、壁に囲まれた街にやって来た僕が、街の持つ謎と街が生まれた理由を影と共に探し求める。一方『ハードボイルド・ワンダーランド』では、暗号を取り扱う「計算士」である私が、自らの脳に仕掛けられた時限装置の謎を解き明かしていく。

 

『世界の終り』

「あんたには落ちつき次第まず図書館に行ってもらうことになる」と門番は街についた最初の日に僕に言った。「そこには女の子が一人で番をしているから、その子に街から古い夢を読むように言われてきたっていうんだ。そうすればあとはその子がいろいろと教えてくれるよ」

 

図書館の「夢読み」として働くことになった僕の仕事は、一角獣の頭骨から古い夢を読み解くことでした。外界から隔絶され静謐な日々を送る人々の中で、僕はこの街の奇妙な完結性に疑問を抱くようになります。

 

『ハードボイルド・ワンダーランド』

「私はいちばん腕利きの計算士をまわしてくれるようにとエージェントに頼んだんだが、あんたはわりに評判が良いようですな。みんなあんたのことを誉めておったです。腕はいいし、度胸もあるし、仕事もしっかりしている。協調性に欠けることをべつにすれば、言うことはないそうだ」

 

ある日、私は老博士の秘密の研究所に呼び出されます。博士から「シャフリング・システム」を用いた仕事の依頼を受けるのですが、そこには世界の終りをもたらすという時限爆弾が仕掛けられていました。

 

【無意識の実相とは】

 リチャード・ブローティガンの『西瓜糖の日々』という作品には、全編に渡って無意識の心象風景を描いているのですが、そこには神の摂理が届かない愛と平和と暴力と死が即物的に現れては消える激しい世界が表現されていて、衝撃的なものでした。無意識の実相とはこのような心の完全なる自由に満ちた《混沌》なのかもしれません。

 

 ブローティガン村上春樹が敬愛してやまない作家の一人なのですが、本書に描かれる無意識の景色はむしろ真逆の様相を呈しています。街の住民は記憶を奪われると共に、大切な何かを求める心の自由を失っています。『世界の終り』の章で主人公はこの街の抱える矛盾を探り当てようと画策していきますが、ここでボクはふとこんなことを考えました。

 

  ボクらが生きている社会システムそのものを疑うことなど可能なのだろうか?

 

 もしそれが可能であったとしても、社会システムの外部で生きていくことなどできるのでしょうか?それはまるで映画『マトリックス』でキアヌ・リーブスが仮想現実から目覚めた時のようなとんでもない事態を意味するのではないでしょうか。

 

 ともかく物語は後半に向かって抜き差しならない状況に突入していくのですが、この続きは次のブログで。