村上春樹レヴューのブログ

自称村上主義者の私が独自の切り口で作品をご紹介します。

【世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド(下)】

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  物語は後半に入ると意識と無意識の世界は徐々にシンクロしはじめ、『世界の終り』にまつわる謎も解き明かされていきます。

 

 後半に進むほど痛みや死やSEXが頻繁に登場して、読者の中には不快に感じる方がいるかもしれません。ボクのブログは村上作品に対するアレルギーを少しでも緩和できればという思いもあって、あえて楽観的な語り口をモットーにしているのですが、作品に触れて嫌な感じを覚えたとしたら、ひとまず読むのを中断することもお勧めします。気楽にお付き合いいただければ幸いです(^^)/

 

【あらすじ】
『世界の終り』では、街の持つ矛盾に気づいた僕は街からの脱出を企てます。一方の『ハードボイルド・ワンダーランド』では、脳に組み込まれた時限爆弾からの救いを求めて、地下世界の決死行がはじまります。

 

『世界の終り(後半)』

「この街の完全さは心を失くすことで成立しているんだ。心をなくすことで、それぞれの存在を永遠にひきのばされた時間の中にはめこんでいるんだ。だから誰も年老いないし、死なない。(中略)日々生じるささやかな心の泡のようなものをかいだしてしまうだけでいいのさ」

 

影は街を出て行くよう「僕」に説得を続けます。この街には喜びも至福も愛情もなく、心のない人間はただの歩く幻にすぎないのだと。しかし、夢読みの図書館で出会った彼女を残してこの街から出て行くことに、「僕」はためらいを感じています。

 

『ハードボイルド・ワンダーランド(後半)』

「まず最初に私はあんたに謝らねばならんでしょうな」と博士は言った。「いかに研究のためとはいえ、あんたをだまして利用し、ひいてはあんたをのっぴきならん状況に追い込んでしまった。これについては私も深く反省をしておるんです。・・・」

 

「私」の脳に組み込まれた第3回路は、博士が組織に頼まれて作り出した意識の核を開放するシステムでした。それを放置していると、「私」は第3回路の中にはまり込んでしまい、そこにある『世界の終り』で永久に暮らすことになるというのです。

 

【システムを乗り越える】

 『アンチ・オイディプス』の共著で知られるドゥルーズガタリは、人の本来的な姿について、完全なる自由の下での《欲望する機械》と定義しました。しかし、現代人は心の内側まで欲望が制御されてしまったために、歪んだ社会システムを乗り越えようとする意志は失われてしまっていると言います。

 

 例えば、現代の科学的思想はエディプスコンプレックスのような性的欲望を閉じ込めるよう抑圧します。このような考えは欲望のはけ口を封印し、人の心のなかに自ら欲望を律する制御回路を作り出します。そして今や世界中を覆う資本主義システムは、このような欲望の規律化によって生み出された《社会機械》であると彼らは語っています。

 

 とてもクセの強いこのような考え方は、80年代に我が国に紹介されて、ポストモダン思想ブームを引き起こしました。その当時《ニューアカ》と呼ばれた先生方は、ドゥルーズ=ガタリの思想に即して「固定観念にとらわれず柔軟に生きるのが最先端の賢いやり方」だとして、社会システムからの逃走を提唱します。

 

 さて、本書の後半は、主人公の意識の核に埋め込まれた制御回路である『世界の終り』からの逃走劇ですが、これは明らかにポストモダン思想を下敷きにしています。無意識の「僕」と自我の「私」が最終的に下した決断が本書のクライマックスですが、ここでは伏せておきます。

 

 ボクが本書から感じたのは、【生きることに伴う責任】【死と共に生きることの意味】そしてたとえ欲望が奪われ社会システムの奴隷になったとしても、自己と出会い、他者と心を通わせる可能性を信じるならば、《ニューアカ》の先生方がおっしゃるのとは違って、【賢いやり方とは言えない選択肢】も有り得るということ。・・・う~ん、やはり結末をばらしてしまっているようでスミマセン(-_-;)