村上春樹レヴューのブログ

自称村上主義者の私が独自の切り口で作品をご紹介します。

【ノルウェイの森(下)】

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 発売当初の本書の帯には『100パーセントの恋愛小説です』というキャッチコピーが付いていました。なるほどこの作品はこれまでとはまったく手法の違う《恋愛リアリズム小説》に間違いないのですが、刺激が強すぎて思わず目を背けてしまいたくなるような性描写も登場します。

 

 このような《ダーティー・リアリズム》にはどんな意味があるか。あるいはそこにあるのは脱構築的な目論見か・・・いやいや止めておきます。今回は借り物のウンチクに頼らず、今のボクの素朴な恋愛観を頼りに語ってみたいと思います。

 

【あらすじ】
同じ寮生の永沢が外務省の公務員試験に受かり、恋人のハツミとの祝いの席に呼ばれる。そこで二人の痴話喧嘩にまきこまれた挙句、ワタナベまで永沢との女遊びを咎められる。一方、そっぽを向かれていた緑から2か月ぶりに話しかけられ、彼女が自分にとってかけがえのない存在であることに気づくワタナベ。いま彼に出来ることは、直子をそばで見守るレイコに全てをうちあけた手紙を書くことだけだった。

 

『少年期の憧憬』

「あのね、ワタナベ君、どんな事情があるかは知らないけれど、そういう種類のこと〔スワッピング〕はあなたには向いてないし、ふさわしくないと思うんだけれど、どうかしら?」とハツミさんは言った。彼女はテーブルの上に手を置いて、じっと僕の顔を見ていた。「そうですね」と僕は言った。「自分でもときどきそう思います」「じゃあ、どうしてやめないの?」

 

永沢と二人で行きずりの女の子を取りかえながらSEXしたことをハツミに咎められたワタナベには返す言葉もありません。後にワタナベはこの出来事を振り返り、ハツミの中に《無垢な少年期の憧憬》を見出しています。

 

プラトニックとエロティシズム』

「僕が直子に対して感じるのはおそろしく静かで優しくて済んだ愛情ですが、緑に対して僕はまったく違った種類の感情を感じるのです。それは立って歩き、呼吸し、鼓動しているのです。そしてそれは僕を揺り動かすのです。僕はどうしていいかわからなくてとても混乱しています。」

 

レイコに宛てたこの手紙には、自分に正直であろうとすればするほど迷宮にはまり込む苦しみが綴られています。直子へのプラトニックな愛だけでは、心と体を互いに求め合う緑との関係(エロティシズム)を超えられないという事実を、その時の彼には受け入れることができません。

 

【大人への道のり】

 永沢は順調に外交官の道を歩み続ける一方で、別の男と結婚したハツミは2年後に自死を遂げています。なんだか不条理な現実を思わせますが、この挿話には《無垢な少年期の憧憬》の終焉という人生の転機が感じられます。

 

 直子とレイコについて言えば「自殺願望者が望む命の再生は、肉体もしくは精神レベルの死によってしかもたらされない」という精神分析学の見解が浮かびました。そのあたりの紆余曲折は伏せられているのですが、療養所から出てきたレイコは、結果的に直子の死が代償となって自らを再生しています。

 

 レイコとワタナベは、望まない運命への自傷行為のように酒と歌とSEXの一夜を過ごしますが、このあたりの展開は《無垢な少年期》を引きずるボクにはとても刺激が強すぎてクラクラしてしまいました。

 

 ボクは村上作品のモラル観に全幅の信頼をおいていて、そこを手掛かりにこれまで作品を読み解いて来たのですが、恋愛をはじめとするこの先のテーマには、モラルを破壊し、悪を抱えて臨まなければ乗り越えられない壁が立ちふさがっているようです。今更の感はありますが、要するにこのブログも、大人になるべき時が訪れたということなのかもしれません(-_-;)

 

 物語のラストは、不意に電話口の緑から「あなた、今どこにいるの?」と尋ねられたワタナベが「僕は今、どこにいるのだろう?」と自分に問いかける印象的なシーンです。もし彼にボクの言葉が届くなら親しみを込めてこう呼びかけてみたいと思います。

 

  「大人の世界へようこそ!」