村上春樹レヴューのブログ

自称村上主義者の私が独自の切り口で作品をご紹介します。

【ダンス・ダンス・ダンス(上)】

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 本作は青春三部作の一つである『羊をめぐる冒険』の続編になっています。前作は70年代の戦後民主主義イデオロギー幻想を葬って一旦幕を閉じました。あれから4年、ベストを尽くして来たものの、何処にも行けず、誰も真剣に愛せず、何を求めているのか分からないまま年を重ねてきました。そうして大量消費社会を迎えた80年代を舞台に、魂の再生をめぐる冒険が再び始まります。 

 

【あらすじ】
フリーのライターとして忙しい日々を送っていた僕は、1983年3月のはじめにカメラマンと二人で函館の食べ物屋を取材していた。書き上げた原稿を彼に託して札幌行きの特急列車に乗り込み、あの懐かしい「いるかホテル」へと向かった僕は予想も出来ない事態を目にした。かつての小さなみすぼらしいホテルは、26階建ての巨大なビルディングに変貌を遂げていた。

 

【いるかホテルの顛末】

「ドルフィン・ホテル・チェーン」と僕は言ってみた。「そう。ヒルトンとか、ハイアットとかに匹敵するクラスのチェーンだよ」「ドルフィン・ホテル・チェーン」と僕はもう一度繰り返した。引き継がれ、拡大された夢。「それで、昔のドルフィン・ホテルの経営者はどうなったんだろう?」「そんなことは誰も知らない」と彼は言った。

 

いるかホテルの買収は強引なものでしたが、この時代にそれを腐敗と見なす者はいない。それが資本投下であり、システムであり、高度資本主義のプロセスというもの。「僕」はため息と共にそれを受け入れる。

 

【羊男のメッセージ】

「踊るんだよ」羊男は言った。「音楽の鳴っている間はとにかく踊り続けるんだ。おいらの言ってることはわかるかい?踊るんだ。踊り続けるんだ。何故踊るかなんて考えちゃいけない。意味なんてことは考えちゃいけない。意味なんてもともとないんだ。」

 

主人公は暗闇に包まれたホテルの一室であの羊男に再会する。羊男の存在も、この部屋の寒さも、過去を振り返ると、どこか見覚えある景色であったことに「僕」は気づく。

 

【五反田君の世界】

ゴージャスなプロの女の子と一晩楽しんで、ぼんやりとコーヒーを飲んでいた。そしてたぶんこれからぐっすりと眠る。好むと好まざるとにかかわらず、そして程度の差こそあれ、我々はーーー僕と五反田君とはーーーごく普通の世間の生活様式からははみだしてしまっていた。

 

五反田君と接触したことで「僕」はトラブルに巻き込まれるが、それをきっかけにして社会生活を離脱し、狂気にも似たもう一つ世界に関わっていくことになる。

 

【象徴交換と死】

 ボードリヤールによれば、商品を物質としてではなく象徴的な記号として交換することを《象徴交換》と呼びます。《象徴交換》によって自己増殖した大量消費社会の中で人はシステムの歯車として生きていくしかないが、唯一《象徴的な死》を交換手段とするときに、このシステムの呪縛から解放されると言われています。

 

 この考え方はとても抽象的で、ボクは長らく理解できなかったのですが、このたびのパンデミックによって世界中の経済活動が停止するのを目の当たりにすると、人の命を差し置いてまで大量消費社会のシステムを動かすことは出来ないという理屈が、なんとなく呑み込めた気がします。

 

 主人公の「僕」は、80年代の高度資本主義社会に違和感を覚える一方で、社会からはみ出して虚構の世界に生きる五反田君に傾倒しています。そして、その五反田君を待ち受けるものこそ《死の超克》でした。

 

 果たして主人公は現実社会に復帰できるのでしょうか? それとも理想を求めて象徴的な死を選ぶのでしょうか? そして、羊男が「僕」に語った『音楽の続く限り・意味を考えず・踊り続ける』とはいったいどういう意味なのでしょうか?

 

羊をめぐる冒険』以来のハルキ節を気持ちよく堪能しています。続きは【ダンス・ダンス・ダンス(下)】にて(^^)/