村上春樹レヴューのブログ

自称村上主義者の私が独自の切り口で作品をご紹介します。

【フィッツジェラルド体験】(マイ・ロスト・シティーより)

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 おかげさまでブログの投稿も60回を超えました。書き込みスタイルはすっかり定型化したものの、発想までが過去の投稿の繰り返しにならないかと危惧しているところです。当初の予定では村上作品の短編モノをご紹介するつもりでしたが、ここは少し間をとって態勢を立て直したいと思います。

 

 ところで、村上春樹は翻訳家としても知られていて、なかでもスコット・フィッツジェラルドの作品を口語体で現代に蘇らせた業績は高く評価されています。フィッツジェラルドは『グレート・ギャッツビー』以外にも数多くの名作を残していて、ボクたちはその多くを村上訳で味わうことが出来ます。

 

 本書『マイ・ロスト・シティー』は村上春樹初の翻訳作品であり、訳者によるエッセイと6つの作品で構成されています。作品に触れる前に、なぜ彼が偉大な作家であるのか語ったエッセイからご紹介します。

 

フィッツジェラルド体験』

何年かにわたるそのような「フィッツジェラルド体験」のあとでは、僕の中の何かがすっかり変わってしまったような気がした。乱暴な言い方をすれば、ドストエフスキーバルザックヘミングウェイは、二十代の僕の中で少しずつその輝きを失っていった。彼らは言うまでもなく立派な作家だ。しかし彼らは僕のための作家ではなかった。

 

 ある《経験》が自分の中に取り入れられ、生き方の中に定着することで《体験》になるといわれます。大人になるにつれ《経験》を真の《体験》にまで深めることは稀であり、月並みな言い方ですが、若き日の読書の機会は大切にしたいものです。

 

フィッツジェラルドの小説の魅力』

 フィッツジェラルドの小説の魅力のひとつは、そこに相反する様々な感情が所狭しとひしめきあっていることにある。優しさと傲慢さ、センチメンタリズムとシニシズム、底抜けの楽天性と自己破壊への欲望、上昇志向と下降感覚、都会的洗練と中西部的素朴さ・・・・・・フィッツジェラルドの作品の素晴らしさは、彼がこのような様々に対立しあうファクターをいわば本能的に統御し得た点にある。

 

  1920年代のアメリカ社会で、時代の寵児にまで上り詰めたフィッツジェラルドの最大の魅力は独特な感性ですが、その感性を支えていたのはモラルだと村上は分析しています。高いモラルがあればこそ描くことのできる退廃や崩壊の美学。フィッツジェラルド作品は、華やかな絶頂期ばかりでなく、凋落期のなかでも奇跡のような底光りを放っています。

 

 次回から、フィッツジェラルドの前期から後期にかけてのダイジェストとなる六つの短編をご紹介していきます。その魅力を上手く伝える自信は全くありませんが、このウズウズする気持ちだけでもお届けできればと思います(^▽^)/