村上春樹レヴューのブログ

自称村上主義者の私が独自の切り口で作品をご紹介します。

【アルコールの中で】(『マイ・ロスト・シティー』より)

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 1940年12月21日にフィッツジェラルドは心臓発作でこの世を去ります。44歳の生涯でした。アルコール依存が進み健康状態が悪化した彼のそばに最後まで寄り添っていたのは愛人のグレアム。彼女の献身によって、フィッツジェラルドは死の直前まで執筆に情熱を注ぎ込むことができたと言われています。

 

《あらすじ》
テル暮らしをしているアルコール中毒の漫画家の世話をすることになった若手看護婦。それは彼女が断り続けてきた仕事だったが、案の定、世話を始めた途端、酒瓶の奪い合いになるなど現場は修羅場と化した。彼女は看護婦紹介所で担当替えを依頼する。しかし、あるきっかけからそれを撤回し、もう一度その患者の世話を願い出た。

 

『片隅に立っている死』

彼が眺めている場所は、昨夜彼が酒壜を投げつけたあの片隅だった。彼の弱々しく反抗的に見える整った顔をじっと眺めたまま、彼女はそちらにちらりとも目を向けることができなかった。彼の眺めているその片隅に立っているのが死そのものであることがわかったからだ。

 

護婦としての理想と誇りを思い返し、誰もがやりたくないからこそやるんだと自分に言いきかせて彼女は看護の場に戻ってきた。しかし、そんな彼女を待っていたのは、誰も手をさしのべることの出来ない《虚無の闇》。

 

フィッツジェラルド体験】

 フィッツジェラルドは退廃のなかに「偽りの無い自己」を見出そうとした作家です。そこから逆説的に「生の在り様」が喚起されます。彼の作品を読むたびに物語に秘められた可能性を無意識に探ってしまう理由がそこにあります。

 

 訳者の村上春樹は次のように語っています。

 

彼が僕に与えてくれたものがあるとすれば、それはもっと大きな、もっと漠然としたものだ。人が小説というものに対して(それが書き手としてであれ、読み手としてであれ)向かわねばならぬ姿勢、と言っていいかもしれない。そして、小説とは結局のところ人生そのものであるという認識だ。(『フィッツジェラルド体験』より)

 

 執筆を通じて人生と向き合い続けたフィッツジェラルドの精神がボクにも感じられてきました。同時に《フィッツジェラルド体験》が村上春樹に大きな影響を与えたという意味も少しだけ分かってきました。さて、次回はいよいよ名作『マイ・ロスト・シティー』のご紹介となりますが、これ以上語るべきものが何もありません(;´д`)トホホ