村上春樹レヴューのブログ

自称村上主義者の私が独自の切り口で作品をご紹介します。

【60エーカー】『頼むから静かにしてくれ』より

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 カーヴァーはワシントン州ヤキマの出身です。その地域にはインディアンが暮らす保留地があったそうで、彼は先住民たちの暮らしをテーマにした作品をいくつか残していて、今回紹介する作品もそのうちの一つ。物語には先祖から広大な土地を引き継いだインディアンの末裔が登場します。これまでの作品とは趣の異なるハードボイルドな仕上がりになっています。

 

《あらすじ》
から受け継いだ60エーカーのその土地は、鴨の飛来ルートでもあることから密猟が絶えない。誰かが土地に入って猟をしているという一本の電話を受け、リー・ウェイトは銃を手にトラックで現場に向かう。到着するころにはいなくなっているだろうと思っていたが、思いがけず二人の少年を見つけた。コートのポケットに獲った鴨をつっ込んでいる彼らに銃を突きつけながら尋問を始める。

 

【60エーカーの土地】

「おい、お前ら、ここを誰の土地だと思ってるんだ?」とウェイトは言った。「俺の土地で鴨を撃つってのはいったいどういう料簡なんだ?」少年の一人が手を前にかざしたまま用心深く振り向いてこっちを見た。「どうするつもりなんですか?」「さあ、どうするつもりだろうな」とウェイトが言った。

 

迫したやりとりの後、ウェイトは結局少年たちを逃がしてやる。連中を土地から追い出すことが何よりも大事なことだった。しかしこのとき、彼の中では別のある決断が成されていた。

 

【文学の遺伝子】

 親から子へと《遺伝子》を受け継ぐように、人は帰属する社会の文化や歴史を《社会の遺伝子》として受け継いでいきます。それをアイデンティティとして大切に守り、あるいは次の世代へ継承することは、私たちの宿命の一つかもしれません。私も年齢を重ねるにつれ、そんな気持ちに共感するようになってきました。

 

 しかし本作に登場する男は、自分が受け継いできたものに疑念を抱いています。先住民の伝統はすでに形骸化しているのに、法的な権利として土地を守り続けることにどれほどの意味があるのか? そのような遺産は家族を閉鎖的な生活に縛り付けることにしかならないのではないか? 過去・現在・未来に渡って《負の遺伝子》を受け継ぐという前作でも取り上げたテーマがここにも登場します。

 

 このような問いに対して、カーヴァー自身は最終的に答えを出したと私は考えています。遺作となった『使い走り』という作品で、彼はチェーホフから《文学の遺伝子》を譲り受けたことを宣言しています。二度の自己破産とアルコール依存症に離婚という、実人生を蝕んできた文学という《負の遺伝子》を生涯手放さなかったことについて、彼は死の間際に振り返るのですが・・・それについてはまた別の機会に。