村上春樹レヴューのブログ

自称村上主義者の私が独自の切り口で作品をご紹介します。

【ねじまき鳥クロニクル 第3部 鳥刺し男編】

f:id:Miyuki_customer:20211124232446j:plain

 本作は80年代を背景に描かれていますが、それは我が国が経済大国の道を歩み始めた時代です。日本的経営が世界から称賛される一方で、過労死などの負の部分が問題視されたのもこの頃から。効率と成果を最優先する社会構造は、劣悪で不安定なものであるにもかかわらず、多くの人々は右肩上がりの成長神話を信じ続けていました。虚心坦懐に耳を澄ませば、神なき無秩序な世界のねじをまく鳥の鳴き声が聴こえたはずなのですが。

 

 『第3部鳥刺し男編』では、いよいよクミコを取り戻す闘いが始まります。それは鳥刺し男が魔法の笛を吹き、トオルの夜の国がノボルの昼の国からクミコを奪い返すオペラ『魔笛』のような展開が次第に形を成していきます。そうした物語はトオルに関わる一人ひとりの物語へと波及していきます。

 

《あらすじ》
民プールの天井から降りそそぐ啓示を受けとめ、岡田トオルはクミコを取り戻す決意を固めた。ナツメグとシナモンの協力を得て綿谷ノボルへの反撃が始まる。ノボルの使いである牛河が現れるとクミコとの対話の条件が提示された。しかしその対話のためには、二重パスワードで守られたコンピューター・ネットワークの鍵をこじ開けねばならない。

 

『僕にとっての戦争』

僕の考えていることが本当に正しいかどうか、わからない。でもこの場所にいる僕はそれに勝たなくてはならない。これは僕にとっての戦争なのだ。「今度はどこにも逃げないよ」と僕はクミコに言った。「僕は君を連れて帰る」

 

び208号室に潜り込んだトオルはノボルと対決する。彼は積み上げてきた仮説を頼りにここまでたどり着くことが出来たが、論理を超越した精神世界では何が正しくて何が間違っているのか客観的な立証は出来ない。トオルは想像力を封印し、暗闇の中で血塗られたバットを振り下ろした。

 

【物語から見た世界】

 村上春樹は『アンダーグラウンド』という作品のあとがきに、次のような言葉を残しています。

 

人は、物語なしに長く生きていくことはできない。物語というものは、あなたがあなたを取り囲み限定する論理的制度を超越し、他者と共時体験をおこなうための重要な秘密の鍵であり、安全弁なのだから。物語とはもちろん「お話」である。「お話」は論理でも倫理でも哲学でもない。それはあなたが見続ける夢である。(『目じるしのない悪夢』より)

 

 本作は幾つもの物語が互いに呼応しながら構築されています。間宮中尉と皮剥ぎボリスの物語はトオルとノボルの物語へと、それは笠原メイとクレタの第二の人生の物語へと波及し、シナモンの作り出した作中作『ねじまき鳥クロニクル』はクミコの自立・再生の物語を引き出していきます。そしてその背景には、ノモンハン事件や日中間の歴史問題、80年代の政治経済の負の側面といった大きな物語が控えています。

 

 歴史の渦に巻き込まれた間宮中尉とボリスや、日常の落し穴に陥ったメイやクレタ、彼らに共通するのは個々の問題を乗り越える鍵が《自由意志》にあるという点です。そしてそれは、トオルが自己の内面を見つめることでクミコの魂を救出するという神話が軸になっています。

 

 アンダーグラウンドで語られた「物語が論理を超えて他者との共時体験を可能にする」という理念が本書において具現化されているのですが、その世界観はあまりにも壮大で複雑で、正直私にも消化しきれていません。少なくとも「私たちが物語を通じて世界を見ている」そして「《自由意志》によってその物語を再生することが出来る」という視点をこの作品は教えてくれます。

 

 『世界の終りとハードボルド・ワンダーランド』の谷崎潤一郎賞に続き、本作は読売文学賞*1を受賞し、村上春樹は名実ともに日本を代表する作家の一人として受け入れられています。

*1:読売新聞社が1949年に制定した。谷崎潤一郎賞と並ぶ、中堅・ベテラン作家を対象とした文学賞