今回ご紹介するマーク・ストランドの作品は、かつてドリフのコントでお馴染みだった《もしもシリーズ》を彷彿とさせます。題して「もしも大統領が気象マニアだったら」。いかりや長介が最後に「だめだこりゃ」と言い出しそうな突拍子もない作品です。
《あらすじ》
大統領が辞任を発表した。彼は決して人気のある指導者ではなかった。彼が在任中に行ったのは気象に関する分析と予想、国立気象博物館の建設とフロンガスとの戦いだったから。要するに彼の正体は単なる気象マニアだった。そして、前代未聞の辞任演説が始まる。
『気象の恵みは変わることなく』
私はこれまで一度として空を見上げるのをやめたことはありませんし、これから先も変わることなくそれを続けるでしょう。失望の、そして喜びの深い藍色と群青色を、それ以外のどこの場所に求めることができましょうか。気象の恵みは、変わることなく私たちの職務の域を凌駕し、私たちの口にする言葉を、前触れもなしに、尽きることのなき巨大な薔薇の花弁へと変えてしまうことでしょう。
51日間の在任中、彼は閣僚たちと日々チェーホフを朗読し、自分たちの役割の非重要性に苦悶し、人生の儚さに溜息をついた。演説は次第にエスカレートしていき、気象にまつわる抽象的で壮大で、意味不明な信仰告白となっていく。
【事実は小説よりも奇なり?】
気候変動対策が世界共通のアジェンダにまで格上げされ、また、ポピュリズムにより常軌を逸脱した国のリーダーが当たり前のように登場する昨今では、この作品が当初意図していた『気象マニアの大統領』という奇妙な存在のインパクトは薄れてしまったかに見えます。
しかし、そもそも以前までの私はこの作品を正しく読み解いていたのでしょうか?何か大事なことを見落としてはいないでしょうか?今回改めて読み返してみて、次のようなことに気付きました。
例えば、文中に登場する『気象』の部分を『詩』という言葉に置き換えると、この作品の別の姿が浮かび上がってきます。この作品の意味を問うことは野暮なことだと承知していますが、過去の自分への回答として記しておきます。
世の中は地上において刻々と変化すれど、芸術は天上で輝き続け、望めば人は誰しもその恵みに浴することができる。
合衆国桂冠詩人の称号を受けて、その任期中に公的な詩作や詩文化普及に務めてきたマーク・ストランドは、アメリカ国民一人ひとりが詩の世界に触れ、その恩恵を享受することを本気で望んだのでしょう。それはおそらくドン・キホーテのような勝ち目のない戦いであったに違いありません。
『大統領のさよなら演説』と称するメッセージ文は、一見するとエキセントリックなパロディで偽装されています。しかし私には、作者の願いを極めて誠実にストレートに告白したものに思えるのです。