マーク・ストランドは1964年のデビュー以降、詩人として華々しい活躍を続けて来ましたが、1980年代の10年間は詩作を中断しています。《私詩》のあり方に疑問を持ち、表現形式を模索していたとも言われています。
今回はいよいよ表題作である『犬の人生』をご紹介します。作者が模索していたものが何であったのか、その一端を垣間見るような作品に仕上がっています。
《あらすじ》
夫は妻に言いたいことがあった。でもそれは問題を含んだ内容だったのでなかなか切りだせずにいた。彼はそれまでに何度も口の中で声を出さずに繰り返していたのだが、いよいよそれを切りだす潮時が訪れた。穏便に事はすまないかもしれないと、覚悟を決めた彼はついに真実を告白する。・・・彼女に出会う前、彼は犬であったということを。
『幸せな生活だった』
グラヴァーは言った。「僕はコネティカットの大きな家に飼われていた。広い芝生の庭があって、その向こうには森があった。その辺の人たちはみんな犬を飼っていた。幸せな生活だったな」
トレイシーは目を細めた。「それはどういうことなの、『幸せな生活だった』っていうのは?どうしてそんなのが『幸せな生活』だったの?」
妻は冗談のようなものを聞かされていると思い込んだ。しかし、夫は犬のコリーとして歩んだ人生を妻に理解されたいと望んだ。夫婦の会話は結局、最後までかみ合わない。すべてを語り終えた彼は悔恨の苦悶に沈むが、しばらくすると、自分が正しいことをしたという誇りを取り戻した。
【アイデンティティの問題】
精神分析家のエリクソンによれば、《アイデンティティ》は人間にとって必要不可欠なものです。それは「自分が他ならぬ自分として生き生きと存在し続けている」という意識であり、「所属するコミュニティと自分が同じ意識で結び付いている」という一体感です。この物語はそうした《アイデンティティ》を倒置することで詩的な世界観を作り出しています。
犬として吠え、唸り、言葉にならない声で語っていた男のかつての《犬の人生》。それは犬としての生を歌った喜びの日々でした。しかし、人間の発する声は喜びを表すでもなく、苦痛を表すでもなく、妙な具合にねじれていて、彼には疎外感しか伝わってきません(※あくまでも犬目線に依る個人的見解です🐶)。こうして犬と人間の倒錯的な《アイデンティティ》の物語が生まれました。
この作品が発表された当時は、東西冷戦下で核開発競争が激化した時代。迫りくる環境破壊に対して警鐘が鳴らされ始めた時期でもありました。しかし人々の多くは、こうした事実を非現実的に捉えてうわべだけの時間を謳歌していました。
このような状況に対して、作者は人の発する声に自然との調和を取り戻したいと願います。あるいは、『人間であることへの怒り』をどのように表現すればよいのかと模索しました。それがこの作品の中心テーマであり、10年間の沈黙の理由の一つでもあったのではないでしょうか。
マーク・ストランドの語り口はいつも意表を突いたものですが、常に的確に問題の核心を捕えています。この作品の世界観が心に気持ちよく響いたことを、作者の詩的なレトリックに倣って記しておきます。
人は誰しも内なる野生を思い出し、夜空の月に向って美しい声音を響かせる