ザダール*1はクロアチア中部の小さな港町で、ヨーロッパを代表する観光地と言われています。各種旅行代理店のHPを見ると、ローマ帝国時代の遺跡や中世に建てられた教会など、観光スポットが揃った魅力的な場所であることが分かります。今回ご紹介する物語には、かの地で現実の裏側に迷い込んでいく旅人の姿が描かれています。
《あらすじ》
ザダールを旅行中に、私は一人ぼっちでいることに耐え切れなくなった。そんな折、カフェで一組の男女を目にする。どことなく陰のある美しい女の姿に見とれて、私の鬱屈した気持ちは雲散霧消した。依頼私は妄想を膨らませながら彼女の姿を追う日々を送り始める。ある日美術館に行き、建物の部屋を渡り歩き最後の部屋に入ると、女がそこで私を待ち受けていた。
『女のところに行って、その手を取った』
わたしはしばしば思うのだが、我々が自分たちのために選んだ世界の裏側には、もうひとつのべつの、選ばれなかった、説明のつかない世界が存在し、それが我々を選ぶことになる。(中略)だからこそわたしはそのとき、茫然自失、何をしていいのかわからない、というような羽目にはおちいらずにすんだのだ。わたしはまっすぐに女のところに行って、その手を取った。
女は私の手を引いてホテルへと誘った。部屋にたどり着くまでに何度もキスをしながら。しかし、部屋に入ってからの記憶は定かではない。なぜなら奥にある安楽椅子にあの男が座っていたから。男はじっとこちらを見つめ、女は私の隣に身を横たえ、私は女の太腿に指を這わせる。そして無言のままに時が流れていく。
【連続性へのノスタルジー】
思想家で作家のバタイユはその著書『エロティシズム』のなかで、人間はこの世界にただ1人投げ出され、孤独に死んでいく不連続な存在であると語っています。しかしだからこそ、私たちは《失われた連続性へのノスタルジー》を渇望しながら生きていると言えます
旅の途中で孤独のパニックに陥った主人公は、その時目にした女との妄想に囚われます。それはまさにバタイユの言う《連続性へのノスタルジー》が高じた結果。しかし、甘い幻想ははぎ取られて、醜悪な現実に突き落とされます。
このように《連続性》とは、現実のなかでは取り出すことの出来ない幻想に過ぎません。それは死の不安に端を発しているために、私たちは際限なく《連続性》を追い求め、繰り返される魅惑に人生は絶えず彩られます。バタイユによれば、その魅惑の根底にあるのは、不安を打ち消す愛と調和への憧憬と、不安を乗り越えようとするる蕩尽です。
人は誰しも死の不安から愛と調和を希求し、死の不安から果てしない蕩尽を貪る
愛と調和の極致が「人類愛」であるとすれば、蕩尽の行きつく先は「戦争」。そのどちらも同じ人間の生の本質に根差している、というこのバタイユの説を、信じるか信じないかはあなた次第(^^)/ ただ、ザダールという小さな港町がたどってきた歴史は、人の抱える二面性を何よりも雄弁に物語っています。