本書は『ノルウェイの森』以来の恋愛モノです。小説家志望の女性が登場し、過去の作品ではお目にかかれない可愛らしい文章も登場します。また、随所に小説指南や人生訓が挿入されていて、中期村上作品のエッセンスがギュッと詰まったお得な内容になっています♡
《あらすじ》
小学校の教師をしているぼくは、すみれに思いを寄せている。しかし彼女はミュウという17歳年上で既婚の女性に恋をしていた。そして二人で出かけたギリシャの島で、すみれは突然姿を消してしまった。ミュウからの連絡を受けたぼくはその島に向い、必死の探索を続けるがすみれを見つけることはできなかった。
『井戸のような深い場所』
すみれがどこか人里離れたところで井戸のような深い場所に落ちて、そこでひとりぼっちで救助を待ってるというイメージを、ぼくはどうしても頭から振り払うことができなかった。
すみれはミュウへの性的接触を拒まれたことをきっかけにして、煙のように消えてしまった。実はミュウ自身も、二つに分裂してしまったもう一人の自分を消した過去がある。二人の不思議なエピソードを踏まえて『ぼく』はひとつの仮説を立ててみる。
すみれはあちら側に行ったのだ。それでいろんなことの説明はつく。鏡を抜けて、すみれはあちら側に行ってしまったのだ。おそらくあちら側のミュウに会いに行ったのだ。
『ぼく』には「あちら側」に行ってしまったすみれについて具体的に証明することが出来ない。島の夜に「あちら側」から響いてくる調べを耳にしたことは、間違いのない真実なのだ。
【個性化の過程】
心理学者のユングは「自我が自己との相互作用で成長し、個人が自己の内に潜在している可能性を実現し、高次の全体性へと向かうプロセス」を《個性化の過程》と呼んでいます。
《個性化の過程》であるべき自分の姿を取り戻すとき、人は様々な矛盾や葛藤と向き合うとされます。例えば、すみれのように同性愛に目覚めたり、ミュウみたいにドッペルゲンガーによる自我障害に見舞われたりといった体験は、時に心の成長を促す起点になります。
そうした心が不安定で危険な時期には、精神的なこと(=あちら側)にこだわりすぎず、かといって物質的なこと(=こちら側)にもこだわりすぎず、その両面に向き合っていかなければならないのですが、すみれもミュウもその両極にはまり込んで抜け出せなくなってしまったようです。
【一滴の雨水】
物語の終盤に語られる、『ぼく』と万引き少年との邂逅の場面を引用します。
ひとりぼっちでいるというのは、雨降りの夕方に、大きな河の河口に立って、たくさんの水が海に流れこんでいくのをいつまでも眺めているときのような気持ちだ。
遠い過去から連綿と続く私たちの営みを『大きな河の河口』としてイメージしてみると、生命の源への郷愁を抱えつつも、一人ひとりが『一滴の雨水』のように存在する心の有り様に思い至ります。私たちが他者との絆を求めあうのと同時に、自立して『個性化』を目指して生きる理由を解く鍵が、そこにあるように思えます。