本作を書いたデニス・ジョンソンは、アイオワ大でレイモンド・カーヴァー*1から教えを受けています。暴力とドラッグに染まった現代アメリカ社会の裏側を精力的に描きましたが、その乾いた文体はカーヴァーのミニマリズムを彷彿とさせます。
《あらすじ》
ダンダンの誕生日に彼の農家に行くと、銃で撃たれたマッキネスが長椅子に座っていた。彼の仲間たちは周りでぼんやりと事の成りゆきを見守っている。ぼくはマッキネスと、彼を銃で撃ったダンダンを車に乗せて病院へと向かった。アイオワの広大な畑を抜ける道路を走り続けるぼくらは、どんどん小さくなっていくばかり。
『どこまでいっても抜け出せない』
「どこまでいってもこの道から抜け出せないぜ」とぼくは言った。
「ひでえ誕生日」とダンダンは言った。
ダンダンはこの後もコロラドで、テキサスで、暴力事件を引き起こし続ける。信じられないかもしれないが、そんな彼の心にも優しさはあった。「ぼく」があなたの頭にひょいと手を加えれば、あなただって彼のようになってしまうかもしれないのだ。
【銃社会】
銃社会のアメリカでは、毎年多くの人が銃犯罪に巻き込まれ死亡しています。2020年には銃乱射事件は610件と過去最高を記録し、銃犯罪による死者の数は1万9411人に達したと言われています。
銃規制がこうした問題の根本的な解答であることは誰の目にも明らかなのですが、建国以来の歴史と社会構造に加えて、憲法に規定された「武器保有権」の改正のハードルの高さが問題の解決を阻んでいます。
乾いた畑を抜ける見渡す限りまっすぐな道路を駆け抜けながら、物語は有史以前の時代へとさかのぼります。氷河時代から人類が居住する彼の地は、いつの時代も干ばつが繰り返される不毛な土地でした。アメリカによる開拓は、長く待たされてきた救世主の到来と見なされます。そして、その救世主の申し子であるダンダンは、全米各地で蛮行のかぎりをはたらき続けるのです。
いつの時代も無軌道で破滅的なエネルギーを放つ若者たち。それは私自身にも心当たりがあります。ただ、そこに命を脅かす危険な銃器が至る所に存在する環境が加わるとどうなるのか、私には想像がつきません。もしかすると多くのアメリカ人も想像力を欠いているのかも知れません。だからこそ彼らは、銃を所持することが犯罪や暴力の抑止力となるという誤った幻想を抱き続けるのではないでしょうか。