村上春樹レヴューのブログ

自称村上主義者の私が独自の切り口で作品をご紹介します。

【ティモシーの誕生日】(『バースディ・ストーリーズ』より)


 本作を書いたウィリアム・トレヴァーアイルランド出身の作家です。祖国の抱える複雑な事情を背景に、民族のアイデンティティと葛藤を描いてきたとされます。短篇の名手として高く評価され、ノーベル文学賞の候補に何度も名前が上がったと言われています。

 

《あらすじ》
ィモシーはこの15年間、彼の誕生日には必ず実家へ帰省し、両親から心のこもったお祝いをされてきた。33歳になった日、彼は使用人のエディーに体の具合が悪いという嘘のメッセージを託して使い走りをさせた。仕方なくティモシーの実家を訪れたエディーは、引きとめられて誕生日の息子の代役を果たす羽目になる。

 

『母親も真相に思い当った』

そのとき---再び沈黙が降りてそれが数分続いたとき---母親もまた真相に思い当ったことがエディーにはわかった。ティモシーは実はぴんぴんしているんだ、そういう表情が彼女の顔にはっと浮かんだのだ。

 

親は始めからティモシーの嘘を見破っていた。それまで明るかった母親は一切口をきかなくなった。エディーは昼食会が突如異様な雰囲気に包まれたことに当惑する。こうした事態が引き起こされた理由を理解できないまま、彼は屋敷の置物を盗んで逃亡した。

 

アイルランドの視点】

 かつてイギリスの支配下にあったアイルランドの貧困、宗教、独立を巡る問題は《アイルランド問題》と呼ばれていました。本作でも触れられる『移動生活者(アイリッシュ・トラヴェラー)』は繰り返された弾圧の歴史がルーツとも言われています。いずれにしても《アイルランド問題》には〈やっかいな問題〉という響きをもつ支配する側の論理が色濃く含まれています。

 

 この物語は、街に出て立身出世の野心を抱く若者と、故郷で名家を再興する夢を彼に託していた両親の思惑の対比が描かれています。ティモシーがきな臭い事業に手を染めるくだりは、あの『グレート・ギャツビー』に似たモチーフが感じられます。

 

 なぜ彼は立身出世の野心に捕らわれたのか、なぜそこには失望以外の選択肢がないのか。巨匠ウィリアム・トレヴァーのレトリックによって、複雑な問題の背景が浮かび上がってきます。それは部外者からすれば出口の見えない〈やっかいな問題〉です。しかしそこには、長く歴史の表舞台に立つことのなかったアイルランドの側からみたもう一つの世界であることは間違いありません。