作者のリンダ・セクソンはモンタナ州立大学の教授兼作家。どちらかというと小説よりも宗教学の哲学、思想の面で功績をあげている人物のようです。彼女の経歴紹介には、村上春樹によって日本語に翻訳されていることが輝かしい実績として記されています♡
《あらすじ》
少年の4歳の誕生日に三人の老婦人がやってきた。彼女たちはどことなく大型の水鳥みたいに見える。蝋燭のついたケーキが用意され、三人の老婦人はハッピー・バースデイを歌い、一人ずつプレゼントを手渡した。恒例のおとぎ話を少年がせがみ始めると、母親は少年の相手を彼女たちにまかせ、皿を集めて部屋を出ていった。
『昔むかしあるところに皮膚のない皇帝がおりました』
「昔むかしあるところに皮膚のない皇帝がおりました」と彼女は言った。「皇帝はまるで象牙の彫り物とサテンのクッションを、赤と青の細い糸でしっかりと縫い合わせたみたいに見えました。そこにふたつの問題がなければ、皇帝はきっと幸せであったことでしょう。」
老婦人たちが即興で作り出すお話はすでに語りつくされた童話がもとになっている。定番のお話に別の要素を放り込んで、そこから新たな世界観を探り出すという運び方をしていた。三人の老婦人と少年が作り出す『皮膚のない皇帝』のお話の行方や如何に。
【裸の王様】
『裸の王様』は人間心理の弱点を辛辣に捉えた寓話としてアンデルセンの代表作の1つとされています。ご存じの通り、身の回りに批判者や反対者がいないために本当の自分がわかっていない権力者に対する皮肉が込められています。
ちなみに『裸の王様』は、スペインの作家ファン・マヌエルの『ルカノール伯』が元ネタです。アンデルセンは、仕立て屋が織った布が見えないという嘘に惑わされる者を「血筋」ではなく「分不相応な地位にある者」に改めたり、王様は裸だと喝破する役を「馬子」ではなく純粋無垢な「子供」に置き換えたりして、世にも不思議な伝奇モノを不朽の名作に作り替えました。
さて、本作の作中作は明らかにこの『裸の王様』がベースになっています。少年は老婦人の膝の上で物語の結末に思いをめぐらし、皇帝に皮膚が無い謎を解き明かしていきます。元のお話がバラバラに解体され、新たに意味付けされていく様子が描かれます。
私は本作を読み終えて、アンデルセンの時代には存在しなかった《国民国家*1》を思い浮かべてみました。ポピュリズムが蔓延する現代では、単純な権力批判だけでなく、権力の背後にある世論も批判の対象となります。つまりここでは《国民国家》という大きな物語そのものが問い直されています。
本書に描かれるように、世の中を覆う虚偽や無知蒙昧を吹き払うのは、いつの時代もきっと少年のような純粋無垢な精神なのでしょう。世間のしがらみから抜け出せない私は、奥田民生の曲を聴きながら「人の息子」が大活躍するのを信じて待っています('ω')♪