村上春樹レヴューのブログ

自称村上主義者の私が独自の切り口で作品をご紹介します。

【⑨サミュエル】(『最後の瞬間のすごく大きな変化』より)

 グレイス・ペイリーが描く作品には、ニューヨークの小さなコミュニティーを舞台にした『勝利と敗北の日々』が描かれています。また、イディッシュ語*1のリズムがその文体の特徴とされますが、残念ながら翻訳文からそれを感じとることは出来ません。生活感漂う語り口から作品の背景を少しでも感じ取りながら、今回も全力でご紹介します。

 

《あらすじ》
いもの知らずの4人の少年たちが、地下鉄の車両の間のデッキで騒いでいる。乗り合わせた乗客たちは、誰もそれをやめさせようとしない。男性たちは己の過去の粗野な行いを思い出しながら、少年たちの行いを傍観していた。女性たちは苛立ちをつのらせていたが、ばつの悪い思いをすることを恐れて沈黙した。それでも子どもを持つ母親の一人が意を決して少年たちを𠮟りつける。

 

『少年たちは声をあげて笑った』

少年たちは大きく目を開いてお互いを見つめ、そして声をあげて笑った。その女性は真っ赤になった。少年たちは彼女の様子を見てもっと激しく笑った。彼らはお互いの背中を叩きあった。サミュエルは一番激しく笑い、アルフレッドの背中を彼が咳きこんで涙を流すまで叩いた。

 

の直後、一人の乗客が腹いせに作動させた緊急停止によって、サミュエルはデッキから外に投げ出された。静まり返る車両の中、身を寄せあう少年たち、事故の知らせを受けて泣き叫ぶ母親の様子が、短く断片的に綴られる。

 

【ヒッピー・ムーブメント】

 1960年代後半にアメリカに登場したカウンターカルチャーは《ヒッピー・ムーブメント》を引き起こしました。最盛期は1967年夏に起きた《サマー・オブ・ラブ》で、サンフランシスコのヘイトアシュベリー地区には、全米から10万人を超える若者たちが押し寄せたといいます。

 

 彼らは戦後のアメリカが礼賛してきた物質主義、中産階級的な道徳観、男女不平等な制度などへの抵抗を示しました。しかし、それは本質的には思春期によくある《両親への反抗》だったという説が有力です。戦後のベビーブームで彼らの占める人口が殊の外多かったことや、世代間のギャップが大きかったなどの理由が重なって、結果的に影響力の大きなムーブメントを引き起こしました。

 

 本作には地下鉄での若者の放蕩と、それをよく思わない大人との対立が生んだ悲劇が描かれています。しかし、作者は「若者VS大人」という対立のどちらにも肩入れしていません。この事故を客観的に見れば、対立というよりも偶発的な出来事が重なったに過ぎないからです。それは先の《ヒッピー・ムーブメント》の本質を冷静に洞察する視点に通じます。

 

 ところで、グレイス・ペイリーがこの作品で用いた「若者VS大人」の二項対立を排するような手法を《脱構築》と言います。また、装飾的な表現を削って必要最小限の言葉で描く作風は《ミニマリズム》と呼ばれます。《ヒッピー・ムーブメント》といった社会現象を寓話化するうえで、この二つは極めて有効に機能しています。理屈をこね回す私の悪い癖が出始めたので今回はこの辺で止めておきますが、《脱構築》と《ミニマリズム》については改めて別の機会に触れたいと思います。それでは。

*1:東欧のユダヤの間で話されていたドイツ語に近い言葉。ユダヤ語とも称される。