村上春樹レヴューのブログ

自称村上主義者の私が独自の切り口で作品をご紹介します。

【波打ち際の近くで】(『バースデイ・ストーリーズ』より)

 作者のクレア・キーガンは、本短編集に選定された中ではもっとも若い世代に属します。ポストモダン文学の影響を脱した次世代の作家として、彼女の作品をご紹介します。

 

《あらすじ》
年は大学の夏休みに海辺に建つ建物のペントハウスで過ごしている。義理の父親は資産家で、この辺り一帯のコンドミニアム群は彼の所有によるものだ。青年の19歳の誕生日は湾を見下ろす洒落たシーフード・レストランのディナーで祝われた。母親が白いパンツ・スーツにラインストーンのベルトという格好でバルコニーに姿を見せる。

 

『何もかもあなたのものになるのよ』

「万事そつなくやっていれば、何もかもあなたのものになるのよ」と彼女は言う。「彼には子供がいないものね。どうして私があの男と一緒になったか、あなたはいぶかっているかもしれないけど、そういうところは、ちゃあんと考えてあるんですからね」

 

生日を祝ってもらったことに対して、青年は母親と義理の父親にお礼の言葉を口にする。そういう言葉を平気で口にしている自分は汚れてしまったように感じられる。彼は男尊女卑の時代を生きぬいた祖母の言葉を思い浮かべた。そして、どちらの性別にも属さない自分は、この先、誰の理解を得ることもないだろうと考える。

 

アイデンティティ・ポリティクス】

 《アイデンティティ・ポリティクス》とは、ジェンダー、人種、民族、性的指向、障害における少数派を擁護する政治活動です。80年代に東西対立のイデオロギー論争が収束する中で政治的テーマとして受け入れられました。

 

 ところが、時に排他的傾向を強めるその主張は、理性的な対話を脅かし、声なき弱者や多数派を標的にし、果ては逆差別などの問題を引き起こしていきました。その結果、人権の先進国であるはずのアメリカの《アイデンティティ・ポリティックス》は、保守とリベラルの双方から忌み嫌われるという逆行現象が見られるようになります。

 

 この物語にはLGBTの悩みを抱える19歳の青年の視点が描かれています。この種の悩みに対して、80年代のポストモダン文学はジェンダー理論による解決を講じてきましたが、逆行するアメリカの社会情勢を受けて、ここではそういった主張は回避されます。あるいは、ジェンダー理論のその先を模索しているようにも感じられます。

 

 青年は祖母が語った記憶を引き継ぎ、自らも困難な境遇を生き抜いていく決意を固めます。この《記憶の分有*1》に類するテーマが自然な形で差し込まれていることで、シンプルな言葉と構成による作品に奥行きが加わっています。

 

 少々早いかもしれませんが、新しい世代の文学の輪郭がおぼろげに見えてきた気がしました。リアルな市民感覚とシンプルで素直な物語への関与。しかし、鋭い人間観察力と高い倫理観が裏打ちされていて、そこにはモダンやポストモダンの文学を乗り越えてきた痕跡が感じられます。

*1:非体験者が体験者から聞き取ったことを学び、自己の存在を通して意味付けを行いながら継承すること。ひめゆり平和祈念資料館における語り部の事例などがある。