村上春樹レヴューのブログ

自称村上主義者の私が独自の切り口で作品をご紹介します。

【⑦あるレディーの肖像】(『ワールズ・エンド(世界の果て)』より)

 ポール・セローの7作目は、仕事でフランスを訪れたアメリカ人ビジネスマンの話です。憧れのパリ滞在にもかかわらず、居心地の悪い思いを繰り返すうちに、彼は早く家に帰りたいと嘆きます。ビジネス現場のあるあるエピソードには同情すべき点もありますが・・・

 

《あらすじ》
実さと機転の良さをかわれた主人公は、パリで現金を受け取り本国に持ち帰る仕事を命じられた。簡単に終わるものと彼は踏んでいたが、何日たっても約束の相手に会うことが叶わない。中途半端な状態でパリに釘付けにされるうちに、孤独と失望に苛まれ始めた。そこで、ダメもとで声をかけてみた受付嬢。誘いに応じたその娘の正体は、レズビアンアナーキストだった。

 

『娘が解放してくれた』

彼は宙ぶらりんの状態を気に病むことを止めていた。もうこのグレースという名の、美しくも醜くもなく、彼にとってはべつに何ということのない娘が、彼を解放してくれたのだ。彼女と寝ても寝なくてもどちらでもかまやしない。彼は欲望を感じなかったし、だからもし首尾よくいかなかったとしてもがっかりすることもない。

 

ランス語が話せず、その国のルールが呑み込めず、パリの街に愚弄されるうちに、全てがどうでもよくなって彼は事に及んだ。しかし、この女と関わり合うことが重大な間違いだったことに気付いたのは、繰り返す不貞行為の後だった。

 

プラグマティズムの落し穴】

 《プラグマティズム》は19世紀後半にアメリカで生まれた思想です。知識や概念の真意は、それがもたらす効果や結果と切り離すことができないとする考え方で、《実用主義》と訳されることもあります。経験を繰り返しながら知識や概念を検証しようとする面があり、一時期のアメリカ社会に広く一般化しました。

 

 物語の主人公は、パリ滞在の居心地の悪さの矛先を、出会った人々の欺瞞や女の無軌道ぶりに向けていますが、自身の違法や不貞の自覚はからきしありません。結果的に仕事をやり遂げ、不貞もバレなかったことで、すべては無かったことにされます。それはアメリカの伝統的な《プラグマティズム》が《事なかれ主義》に陥った姿を象徴しているかのように見えます。

 

 さて、ここにもポール・セローの作品に共通する「内なる他者との遭遇」のテーマが読み取れます。旅先で主人公が出会った欺瞞は、彼自身の欺瞞の投影です。抑圧された「内なる人格」に出会うものの、その意味を解すことなくこの奇特な経験を葬り去ってしまった、というのがこの物語のもう一つの筋書きではないでしょうか。作者は物語の終盤で主人公にうわごとのように次のようなセリフを語らせています。

 

世の中にはーーー彼のホテルの部屋もそのひとつだけれどーーー弱い人間たちがその惨めたらしい希望をあとに残していく部屋がある。彼らはその部屋から出ていってけちな詐欺をうまくやりとげ、そして大きなところでしくじってしまうのだ。

 

 アメリカ社会の行く末を案じる作者の自戒の念が伝わる言葉です。もちろん、日々のちんけな職務に沈溺している私自身への戒めとしても受け止めたいと思います。

 

 ポール・セローの異郷を巡る旅はまだまだ続きます。引き続きどうぞよろしく!