村上春樹レヴューのブログ

自称村上主義者の私が独自の切り口で作品をご紹介します。

【④メヌード】(『象』より)

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 レイモンド・カーヴァーの短編集『象』から、隣人の妻との不倫に悩む中年男性を描いた作品をご紹介します。

 

 タイトルの「メヌード」とは、メキシコ料理の一つで、牛の胃袋などを野菜と一緒に煮込んだスープです。主人公の男性は、精神的に追い詰められた夜に、隣人の妻だけでなく、母親、元妻、そして現在の妻との関係を振り返ります。いくつもの記憶や感情が混ざりあってよみがえる状況は、「メヌード」のようでもあります。

 

『眠れない夜に』

 その夜、「僕」はどうしても眠れず、通りを挟んだ向かいに住むアマンダの家を、ぼんやりと見つめていました。妻のヴィッキーは「僕」に愛人がいることを疑っていますが、アマンダの名前だけは決して口にしません。ゆうべ二人は、そのことで激しく言い争いました・・・。

 

「相手なんて誰だっていいだろう」と僕は言った。「君はその相手の女にあったこともないよ」と僕は嘘をついた。「君の知らない女だ」彼女が僕を殴りだしたのはそのときだった。

 

 自分が取り返しのつかない過ちを犯したことを分かっています。それでもアマンダのことが頭から離れません。同時に、最初の妻モリーのことを思い出します。モリーは「僕」とヴィッキーを関係を知って精神が侵されました。そのヴィッキーも、一年前に別の男と関係を持ちました。さらに、亡くった母を思えば涙が込み上げてくる—―眠れない夜に、人はどうしてこんなにも多くのことを思い出してしまうのでしょう?

 

【落ち葉を掃き集める】

 主人公が次々と呼び覚ます過去の記憶は、カーヴァー自身の人生が重なります。若い頃の彼は、経済的な困窮やアルコール依存によって最初の結婚生活を破綻させ、その後テス・ギャラガーと暮らしながら、晩年には過去の自分を見つめ直す作品を数多く書きました。

 

 その一方で、この作品には気になる場面があります。それは、女性たちとの記憶の中に挿入される、「手紙を書くこと」や「本を読むこと」にまつわる話題です。カーヴァーは、文学に対する思いを直接語るのではなく、なにげないエピソードの中にそれとなく思いを忍び込ませているようです。

 

 ただし、その思いがはっきりと説明されることはありません。まるでそれは氷山のように、言葉として書かれているのはほんの一部で、その水面下に大きな意味が隠されています。物語の終盤で、主人公は他人の庭に落ちている落ち葉を掃き集めたいという衝動に駆られますが、なぜそんなことをしたいのか。その理由も明かされません。

 

 ふと、村上春樹が『ダンス・ダンス・ダンス』の中で使った「文学的雪かき」という言葉を思い出しました。「雪かき」とは、混沌とした心の中を少しずつ片付けていく作業であり、混沌とした世界においても、誰かがやらねばならない地道な仕事を意味します。「落ち葉を掃き集める」という行為にも、そんな意味を読み取れそうです。

 

 本作から、最晩年のカーヴァーが実人生と創作活動を振り返りながら、残された時間の中で何を書こうとしていたのかが微かに見えてきます。それは、出来事をそのまま描くのではなく、日常の身近なものに人生や文学についての意味を託す手法です。「メタファー文学」とも呼べるこの新しい方向は、彼の最後の作品群を読むうえで、とても重要なポイントになります。

 

 カーヴァーが最晩年の作品に託そうとした思いとはいったい何でしょうか。この続きは次回に。

 

【③親密さ】(『象』より)

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 レイモンド・カーヴァーの晩年の作品には、彼自身の私生活を思わせるような、痛みと和解の物語が登場します。今回取り上げる短編もその一つで、別れた妻との再会を通して、過去の傷と向き合う主人公の姿が描かれます。

 

『別れた妻の住む町』

 主人公の「私」は、別れた妻が住む小さな町を訪れます。作家になった「私」は、自分の作品が活字になるたびに、いつも元妻のもとへ送っていました。久しぶりに再開した彼女は「私」を居間に通すと、胸の中にしまっていた思いを一気にぶつけてきました。

 

彼女は言う、過去のつらいことをあばきたてるのはもうやめてちょうだい。他に小説の材料をみつけることはできないの。彼女は言う、私に言わせてもらえればね、あなたは病んでいる。頭がいかれちゃってるわよ。世間があなたについて言ってることを、自分ではまさか信じてなんかいないわよね。

 

 元妻にとって、「私」が書く小説は、忘れたい過去を何度も掘り返すものでした。夫に捨てられたあと、彼女は名前を変え、世間から身を隠すように暮らしてきたのです。その怒りと苦しみが、本人の口から次から次へと溢れ出します。

 

【苦しみを受け止める】

 元妻の言葉はとても厳しく、容赦ありません。しかし「私」は反論せず、彼女の話を聞き、自分の過ちを認めます。大きな体を丸め、彼女の足元に跪くような姿勢をとる「私」の姿には、深い後悔が表れています。そこには、長い時間をともに過ごした親密な夫婦だからこそ、言葉だけでは説明できない深い意思の疎通も存在します。

 

 本作の中心にあるのは、別れた妻との和解です。ただし、それは昔の夫婦関係に戻るという意味ではありません。一度壊れてしまった関係を元に戻すことはできなくても、過去の出来事を受け止め直し、そこに新たな意味を見つけることができるのではないか。この作品からは、そんな思いが伝わってきます。

 

 初期のカーヴァー作品では、人間同士のつながりが簡単に崩れてしまうが姿が多く描かれました。そこでは、夫婦や家族のあいだに生まれた溝は、なかなか埋まりません。しかし、晩年の作品は少しずつ変化が見られます。人は他者を理解できるかもしれない。変わることができるかもしれない。そして、愛や赦しには意味があるかもしれない。もちろん、それは簡単なことではなく、壮絶な心の葛藤を乗り越える必要があります。

 

 本作は基本的にフィクションと思われますが、カーヴァー自身の経験を感じさせる生々しく痛々しい表現で埋め尽くされています。そして、この作品が発表された二年後、カーヴァーはこの世を去っています。そうしたことを踏まえると、自らの気持ちを奮い立たせ、最後の気力を振り絞って執筆に向かうカーヴァーの姿が浮かんでくるような作品でした。

 

【②誰かは知らないが、このベッドに寝ていたひとが】(『象』より)

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 レイモンド・カーヴァーの短編集『象』に収録された短編から、深夜の静けさの中で交わされる夫婦の会話を描いた作品をご紹介します。

 

 タイトルの「誰かは知らないが、このベッドに寝ていたひと」とは、さっきまでベッドにいた語り手自身のことを指します。それは、語り手である夫が「これまでとは違う場所に足を踏み入れてしまった」と感じたことを意味しています。日常生活のすぐ隣にありながら、普段は考えもしない領域に・・・。

 

『真夜中の電話のベル』

 物語は、深夜に鳴り響く一本の電話から始まります。夫が電話に出ると、ただの間違い電話でした。しかし、その音で目を覚ました妻のアイリスは、さっきまで見ていた夢の話を語り始めます。夫は眠ることを諦め、彼女の話に耳を傾けます。

 

「夢の中でパーティーやってるの」と彼女は言う。「その夢のパーティーの中で僕はどこにいたんだい?」どういうわけだか知らないけれど、だいたいにおいて彼女の夢の中に私は登場しないのだ。

 

 最初はただの夢の話でした。しかし会話は、次第に自分たちの身体の不安について、さらには死の間際に苦しんだり、植物状態になったりしたアイリスの祖父母の話へと移っていきました。

 

『生命維持装置のプラグ』

 アイリスは、もし自分が祖父母と同じような状態になったら、生命維持装置を止めてほしいと夫に頼みます。「もし私がそうなったら、あなたがプラグを抜いてほしい」この言葉は、夫にとって、これまでまったく考えたことのなかった問題を提示します。

 

 本人の意思を無視して生命維持装置のプラグを抜くことは、身体への強制的な介入であり、ある種の暴力といえます。一方で、「もうこれ以上生きることを望まない」という意思を本人が示しているにもかかわらず延命を続けるなら、それは生かすこと自体が暴力になり得ます。

 

 ここには、「生きること」と「生かされること」という、とても難しい問題が横たわっています。「プラグを抜く」という小さな動作には、「生と死」「救うことと死なせること」「本人の意思と他者の判断」といった深刻な問題が存在しているために、夫はなかなか答えを出すことができません。

 

『日常の隣にある死の問題』

 カーヴァーは、「死」をドラマチックに描く作家ではありません。むしろ、電話、夢、夫婦の会話といった何気ない日常の断片から、「死」の問題が姿を現す瞬間を捉えます。本作は、死を間近にしたカーヴァーが、自身の生と他者との関係を自らに問いかけた作品として読むこともできます。

 

 また、本作にはアメリカ社会に根付く宗教観や、自分の生き方を自分自身で決めようとする個人主義が感じられます。それが夫の決断をいっそうためらわせているように思えます。それは、海外作品を読むときに必ずついてまわる違和感でもありますが、その感じを説明するのは難しく、途方に暮れるばかりです。

 

 それでも、時間をかけながら自分の言葉で結論を導き出していく姿は、とてもリアルで胸に迫ります。そして、再び間違い電話がかかってきたときの、何かが吹っ切れたような対応ぶりが、心境の変化を物語っています。

 

 深夜の静けさの中で交わされる小さな会話が、いつの間にか「生と死」という大きなテーマへとつながっていく――カーヴァーらしい一篇でした。

 

【①引っ越し】(『象』より)

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 今回から、レイモンド・カーヴァーの短編集『象』に収録された七つの短編をご紹介していきます。本書は、彼が生涯の最後に書き上げた作品でもあります。

 

 これまでこのブログでは、カーヴァーが生活の苦しさの中で作家デビューし、試行錯誤を重ねて独自の作風を築き、やがてチェーホフと並び称されるまでに成長していった軌跡を追ってきました。その締めくくりとなる作品群を紹介することに、特別な思いがあります。

 

 最初にご紹介するのは、カーヴァーらしい「情けない中年男」が主人公の物語です。そこへ、どこへ行っても不満ばかり口にし、気に入らないことがあるとすぐに引っ越してしまう母親が登場し、主人公の日常をかき乱していきます。

 

『引っ越し魔の母親』

 「僕」とジルが一緒に暮らし始めたのは、去年の8月。新しい生活を整え始めた頃、母親がカリフォルニアからロングヴューへ引っ越してきます。ところが、住み始めて一か月も経たないうちに、母親は町のあらゆるものに文句を言い始めます。

 

市内バスはやくざだし、運転手はつっけんどんだと母は言った。老人センターに来る連中とした日にはもう――あのね、私はいまさら「21」なんてやりたくもないよ、と母は言った。「あいつらみんなトランプ抱えて地獄に落ちりゃいいのに」と言った。

 

 ある日、「僕」はついに堪忍袋の緒が切れ、「もういい加減にしろよ」と言いました。母親は泣きだし、「僕」は慌てて抱きしめてなだめます。その時はこれで問題が解決したように思えたものの、数日もするとまた同じ不満を繰り返すのでした。

 

【物語の中に自分を発見する】

 この母親は、精神的な問題を抱えているのかもしれません。そして主人公もまた、母親との共依存のような関係から抜け出せずにいます。そんな話を読んでいるうちに、ふと職場での人間関係が頭に浮かびました。物語の設定とは全く違うのに、なぜだか自分の中で答えが見つかったような、すっきりした気持ちになりました。

 

 カーヴァーの作品を読んでいると、ときどき不思議な感覚に打たれます。その理由は、登場人物に共感するだけではありません。置かれた境遇の違う他人の物語の中に、自分が抱えている別の問題を見つけてしまう瞬間があるのです。

 

 私たちは、自分がどんな物語を生きているのか、自分一人ではなかなか知ることができません。だからこそ、優れた小説には大きな意味があります。他者の人生を読むことで、自分自身の心のあり方や生き方に気づくことができるからです。その時、小説は単なる娯楽ではなく、自分を映し出す鏡になります。

 

 次回以降も、短編集『象』に収録された作品を順にご紹介していきます。迫りくる死を静かに見つめながら書かれたカーヴァー最晩年の作品を読み進めながら、彼の創作の到達点をたどります。同時に、その物語の中に私自身の姿も見つけていけたらと思います。最後までお付き合いいただければ幸いです。

 

【第四章 守護天使、象の卵とスカーレット・ヨハンソン】(『夏帆─The Tale of KAHO─』より)

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 第四章は、物語を締めくくる「結」のパートです。これまで夏帆の周囲で起きてきた不思議な出来事が一つの線でつながり、この作品が本当に語ろうとしていたテーマが明らかになります。

 

『ミソラの物語』

 夏帆は元の世界へ戻る手がかりを求めて、新しい絵本を描き始めます。主人公は森で家族とはぐれてしまった少女ミソラ。彼女は家族のもとへ戻るため、猫のスカーレット・ヨハンソンと共に「象の卵」を探す旅に出ます。ようやく象の卵を見つけたミソラに、老人は思いもよらない言葉を告げます。

 

「おまえはな、ここで象に踏みつぶされる必要があるのだ」と老人はミソラに向かって言った。「踏み潰されて、するめみたいにぺしゃんこになっていったん死んでしまい、そうやって初めて生まれ変わることができるのだよ」

 

【自我の死と再生】

 老人の言葉どおりミソラは象に踏みつぶされ、ぺしゃんこになってしまいます。しかし時間をかけて元の姿を取り戻し、ついには家族の待つ世界へ戻ることができました。子供向けの絵本として考えると衝撃的な展開ですが、夏帆にとって大事な意味を持つ結末でした。

 

 ここに描かれているのは、「自我の死と再生」です。古い価値観や思い込みを手放し、一度これまでの自分を終わらせることで、人は新しい自分として生まれ変わることができる――それが「ミソラの物語」が導き出した答えのようです。

 

【シロアリの女王との対決】

 一方、現実世界の夏帆は最大の試練に向き合っていました。「とぎや」の主人から、母親の体を支配するシロアリの女王を取り除く方法を教えられます。それは特別な刃物で母親の心臓を刺すという、あまりにも過酷な方法でした。もし母親とシロアリの女王が完全に一体化していれば、母親の命まで奪ってしまうかもしれません。

 

 大きな葛藤を抱えながらも、夏帆はシロアリの女王との対決に挑みます。女王は虚言を弄して夏帆を揺さぶります。しかし夏帆と母親は、これまで胸の内にしまい込んでいた本当の気持ちを言葉にします。女王の悲鳴が響き、異臭が立ち込める混乱のなか、鋭い刃先が母親の胸に突き立てられました。

 

【親殺しの文学】

 「親殺し」は、古くから文学で繰り返し描かれてきた重要なモチーフです。

 

 たとえば、『オイディプス王』では、主人公は血塗られた運命によって父を殺してしまいます。また、『カラマーゾフの兄弟』では、父親殺し事件を通して心の為した罪や良心が問い直されます。他にも、「精神的な自立」や「権威からの解放」の象徴として「親殺し」が描かれてきました。

 

 しかし、本作の「親殺し」は、従来の文学作品とは少し意味が異なります。ありくいの夫婦や凶暴なジャガー、シロアリの女王が徘徊する異世界で繰り広げられた出来事は、守護天使が夏帆を元の現実に引き戻すために用意した試練でした。その本当の目的は、母と娘が互いの気持ちを理解し、長年抱えてきたわだかまりを乗り越えること。つまり、この作品における「親殺し」は「運命との和解」を意味していました。

 

【おわりに】

 3年ぶりとなる村上春樹の長編小説は、親子の愛憎という重いテーマを扱いながらも、不思議と爽やかな読後感が残ります。苦しみや葛藤は異世界での出来事として描かれ、現実世界では平穏な日常が続いていく。この幻想と現実の対比が、この作品の大きな魅力の一つでもあると言えるでしょう。

 

 この物語の中心は夏帆の心の旅です。しかし、親世代である私としては、夏帆の両親にもまた、娘には見えない別の物語があったのではないかと感じます。いつの日か、母親の視点から描かれるスピンオフ作品が生まれたなら、本作とはまったく違う景色が広がるのではないでしょうか。そんな物語が読める日を楽しみにしています。

 

【第三章 夏帆とシロアリの女王】(『夏帆─The Tale of KAHO─』より)

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 第三章は、物語の流れが一気に変わる「転」のパートです。思いがけない出来事をきっかけに、主人公の夏帆が長い間心の奥に押し込めてきた感情が、少しずつ表面に浮かび上がってきます。

 

『母親の異変』

母親の身体が何ものかに乗っ取られていることに夏帆が気づいたのは、四月初めのことだった。

 

 母親の見た目はこれまでとほとんど変わりません。けれども、決定的に何かが違う。その違和感をうまく言葉にすることはできませんが、夏帆には確信がありました。まるで母親の身体の中に別の存在が入り込んでいるような、明らかな変貌でした。

 

【心の奥に閉じ込めてきた感情】

 異変に気づいても、夏帆はどうすればよいのか分かりません。見て見ぬふりをして、これまで通りの日常を続けることもできますが、このままでは父親の身に何か悪いことが起きるのではないかという不安が消えません。

 

 実は夏帆は、幼い頃から母親に対して心から安心感を抱いた記憶がありませんでした。自分の外見に無頓着でいようとしたのも、母親への反発が影響していたのです。母親の異変は、そんな幼い頃から封じ込めてきた感情を、一気に呼び覚ますことになりした。

 

【シロアリの女王の登場】

 夏帆が「ありくいの奥さん」に相談すると、驚くべき事実を聞かされます。母親には「シロアリの女王」が取り憑いていて、殺されたジャガーの復讐を企んでいるというのです。しかし同時に、母親をその存在から救い出すことができれば、夏帆自身が長年苦しんできた心の檻から解放されるかもしれない、と告げられます。

 

 覚悟を決めた夏帆は、ついにシロアリの女王と対峙します。そして、これまで誰にも話せなかった母親への思いをぶつけると、母親の口を通して「真実らしき言葉」が返ってきました。ただし、それが本当なのか、それとも夏帆の心を揺さぶるための嘘なのかは分かりません。

 

【「善き物語」とは?】

 この章では、思想家のヴァルター・ベンヤミンの言葉が引用されています。

 

 ベンヤミンは、「善き物語には必ず何かしらの有用性を含んでいる」と考えました。誰かの実体験が物語として語られることで、聞き手はその経験を自分の人生と結びつけ、新たな意味を見い出します。つまり、ベンヤミンが語る「善き物語」とは、人が人生を生き抜くための知恵を次の世代へ受け渡す営みです。

 

 夏帆が描こうとしている絵本もまた、自分の経験を物語へと変換する試みです。心の声に耳を傾け、原因と結果の繋がりを探り、困難を乗り越えようとする過程を通じて、家族の絆を取り戻し、読者に安心と充足を与えるような、微笑ましいハッピーエンドが待ち構えていると思われたのですが――意外にもそれは、夏帆一人では成し遂げられない、危険で理不尽な試練が立ちはだかっていました。

 

 次回はいよいよ最終章です。夏帆が最後にたどり着く答えとは何か。そしてこの物語は、どのような「善き物語」として締めくくられるのでしょうか。最後までお読みいただければ嬉しく思います。

 

【第二章 武蔵境のありくい】(『夏帆─The Tale of KAHO─』より)

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 第二章は、前章で始まった出来事が展開していく「承」のパートです。絵本作家の夏帆が想い描く空想の世界は、いつの間にか現実と重なり始め、次々と不思議な出来事を引き起こしていきます。

 

『ありくいの登場』

夏帆を武蔵境の地に導いたのは一匹のありくいだった。正確に言えば、ありくいの夫婦ということになるが、それがわかったのはあとになってからだ。

 

 最初の頃、夏帆は「あなたは武蔵境に越さなくてはならない」と呼びかける白昼夢を、ただの夢だと思っていました。しかし同じ光景を何度も見るうちに、それは偶然ではなく、自分に何かを伝えようとする特別なメッセージではないかと感じるようになります。

 

【潜在意識との対話】

 武蔵境へ引っ越して三日目の夜、夢の中に現われていたありくいが、ついに夏帆の前に姿を現しました。ありくいの奥さんは、自分が夏帆を武蔵境へ導いたのはモーターサイクルの男・佐原から彼女を守るためだと語ります。

 

 もともとありくいは、夏帆自身が創作したキャラクターです。その意味では、この場面は夏帆が自分の心の声と向き合う「自己対話」と考えることもできます。それでも夏帆は、ありくいを遠いブラジルのジャングルからやってきた善なる存在として受け入れ、その言葉を信じるようになります。

 

【ジャガーとの対決】

 不思議な出来事はそれだけでは終わりません。ある日、夏帆はありくいのために、禁制品である「シロアリのオイル漬け」を受け取りに行くことになります。そのとき、ふとこんな疑問が頭をよぎりました。もしかすると、ありくいが自分を武蔵境へ呼び寄せた本当の理由は、このためだったのではないか!?。

 

 ありくいを信じたい気持ちと、どこか拭いきれない違和感を抱えたまま、ついに彼女は凶暴なジャガーと対峙することになります。それは、絵本作家である夏帆が普段描く優しい世界とは真逆の、暴力的で、生々しさを持ち、忘れることのできない恐ろしい体験になりました。

 

【善と悪を超えて】

 一連の出来事を絵本に描こうとしたとき、夏帆は大きな壁にぶつかります。少女がジャガーを倒して終わる物語に、どうしても納得いかないのです。その理由は、単に子ども向けの作品だからではありません。ジャングルでは、ジャガーもありくいも自然の秩序の中で懸命に生きています。その現実を、「善が悪を倒す」という単純な構図で描くことに違和感を覚えたためでした。

 

 この作品が描こうとしているのは、「虚と実」が入り混じる表層の世界と、「善か悪か」では割り切れない実存の世界です。ありくいもジャガーも、私たち一人ひとりの心の中に存在しています。優しさや理性だけでなく、欲望や攻撃性、嘘や詭弁もまた人を形作る大切な一部を成しています。

 

 時に私たちは、悪を捨て善を選ぼうとします。しかし何かを捨て何かを選ぶということは、自分自身に内在するものを切り捨てることでもあります。その選択には多大な勇気が必要とされ、その結果には大きな犠牲と責任が伴います。本作は、そうした人間の生の在り方そのものを問いかけているように感じられます。

 

 次回ご紹介する第三章では、物語はさらに思いもよらない方向へ進んでいきます。これまで積み重なった出来事が新たな意味を持ち始め、この小説自体が一つの「物語論」としての姿を見せていきます。引き続きお付き合いいただければ幸いです。