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レイモンド・カーヴァーの短編集『象』から、隣人の妻との不倫に悩む中年男性を描いた作品をご紹介します。
タイトルの「メヌード」とは、メキシコ料理の一つで、牛の胃袋などを野菜と一緒に煮込んだスープです。主人公の男性は、精神的に追い詰められた夜に、隣人の妻だけでなく、母親、元妻、そして現在の妻との関係を振り返ります。いくつもの記憶や感情が混ざりあってよみがえる状況は、「メヌード」のようでもあります。
『眠れない夜に』
その夜、「僕」はどうしても眠れず、通りを挟んだ向かいに住むアマンダの家を、ぼんやりと見つめていました。妻のヴィッキーは「僕」に愛人がいることを疑っていますが、アマンダの名前だけは決して口にしません。ゆうべ二人は、そのことで激しく言い争いました・・・。
「相手なんて誰だっていいだろう」と僕は言った。「君はその相手の女にあったこともないよ」と僕は嘘をついた。「君の知らない女だ」彼女が僕を殴りだしたのはそのときだった。
自分が取り返しのつかない過ちを犯したことを分かっています。それでもアマンダのことが頭から離れません。同時に、最初の妻モリーのことを思い出します。モリーは「僕」とヴィッキーを関係を知って精神が侵されました。そのヴィッキーも、一年前に別の男と関係を持ちました。さらに、亡くった母を思えば涙が込み上げてくる—―眠れない夜に、人はどうしてこんなにも多くのことを思い出してしまうのでしょう?
【落ち葉を掃き集める】
主人公が次々と呼び覚ます過去の記憶は、カーヴァー自身の人生が重なります。若い頃の彼は、経済的な困窮やアルコール依存によって最初の結婚生活を破綻させ、その後テス・ギャラガーと暮らしながら、晩年には過去の自分を見つめ直す作品を数多く書きました。
その一方で、この作品には気になる場面があります。それは、女性たちとの記憶の中に挿入される、「手紙を書くこと」や「本を読むこと」にまつわる話題です。カーヴァーは、文学に対する思いを直接語るのではなく、なにげないエピソードの中にそれとなく思いを忍び込ませているようです。
ただし、その思いがはっきりと説明されることはありません。まるでそれは氷山のように、言葉として書かれているのはほんの一部で、その水面下に大きな意味が隠されています。物語の終盤で、主人公は他人の庭に落ちている落ち葉を掃き集めたいという衝動に駆られますが、なぜそんなことをしたいのか。その理由も明かされません。
ふと、村上春樹が『ダンス・ダンス・ダンス』の中で使った「文学的雪かき」という言葉を思い出しました。「雪かき」とは、混沌とした心の中を少しずつ片付けていく作業であり、混沌とした世界においても、誰かがやらねばならない地道な仕事を意味します。「落ち葉を掃き集める」という行為にも、そんな意味を読み取れそうです。
本作から、最晩年のカーヴァーが実人生と創作活動を振り返りながら、残された時間の中で何を書こうとしていたのかが微かに見えてきます。それは、出来事をそのまま描くのではなく、日常の身近なものに人生や文学についての意味を託す手法です。「メタファー文学」とも呼べるこの新しい方向は、彼の最後の作品群を読むうえで、とても重要なポイントになります。
カーヴァーが最晩年の作品に託そうとした思いとはいったい何でしょうか。この続きは次回に。
