村上春樹レヴューのブログ

自称村上主義者の私が独自の切り口で作品をご紹介します。

【③サットン・プレイス物語】(『巨大なラジオ/泳ぐ人』より)

Amazonより

 ジョン・チーヴァーの作品はカフカ的手法が取り入れられているところに特徴があります。それは非現実的な要素を通じて、読者が現実の深層に触れたり幻想的な雰囲気のなかで思いを巡らせたりする効果を生んでいます。今回はサットン・プレイスに暮らす「中の上」クラスの家族がパニックに陥る話です。カフカ的手法も含めてご紹介します。

 

『デボラの身に何かあったら』

 ロバートとキャサリンの夫妻にはデボラというかわいらしい3歳の娘がいて、通いの乳母に面倒を見てもらっている。教会での日曜礼拝を欠かしたくない乳母は、夫妻に黙って一時的にデボラを知り合いのルネにあずけていた。そんなある日曜日の朝、ルネが目を離したわずかな隙にデボラが行方が分からなくなってしまう。

 

「もしデボラの身に何かがあったら」とキャサリンは言った。「私は自分を許すことができないと思う。自分のことが絶対に許せない。自分たちがあの子を生贄にしてしまったみたいに感じることになるわ。アブラハムのところを読んでいたの」。彼女は聖書を開いて読み始めた。

 

 デボラを捜すロバートの目に映るサットン・プレイスの賑わいは、生命を脅かす危険が蔓延する空間に変貌した。デボラの身の安全を祈るキャサリンにとって、仕事と社交に明け暮れた充実した日々は、今や灰色の影が差し込む記憶に塗り替えられた。

 

【都会の片隅に潜む神秘】

 我が子の行方が分からないという親にとってたまらなく苦しい時間が流れます。さらに、デボラに関わった人々の行動が白日の下にさらされます。わが子の養育を怠る両親。大人の事情を抱える関係者。偽善と虚無が支配するサットン・プレイスの街。

 

 捜索が進む中で、過去にキャサリンと口論して乳母を辞した女性が登場します。彼女は夢のお告げでデボラの失踪を予知していて、星占いに絡めてデボラには特別の注意を向けるべきと指南。一瞬、物語に怪しげな空気が漂うのですが、ロバートも立ち会いの巡査もこの女性が誘拐犯でないことを確認すると、何事もなかったことにして立ち去ります。

 

 その後デボラは保護されて事なきを得ました。ロバートもキャサリンもこの出来事を通じて自分たちの不道徳や無信仰を反省するのですが、おそらく同じようなことはこの先も繰り返されるように思えてなりません。なぜなら良くも悪くもデボラのことを理解している大人は、乳母を辞したあの女性ただ一人だけなのですから。

 

 かの女性が登場するカフカ的場面は、あえてサブリミナル効果を狙ったのか、緊迫した展開に埋没してしまった感があります。しかし、ここは物語を読み解く勘所なのでネタバレの禁を犯して言及しました。こうした都会の片隅に潜む神秘とその善とも悪ともつかない側面は予定調和を回避して、自由な発想を喚起するチーヴァーならではの趣向が感じられます。