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本作は、都会の片隅で情事を楽しんできた男が、食べ物も喉を通らなくなるほどの深い恋に落ちてしまい、その結果、自らの命を絶ってしまった物語です。
『渡会医師の恋』
美容整形外科医の渡会(トカイ)と「僕」は、趣味のスカッシュを通じて知り合い、親しくなった。渡会はこれまで、恋人や配偶者のいる女性たちの浮気相手を楽しんできましたが、ある日、既婚の女性と本気で恋をしてしまう。渡会は、敦忠の和歌*1を引き合いに出しながら、遅れて訪れた恋愛の苦しみを「僕」に打ち明けた。
「恋しく想う女性と会って身体を重ね、さよならを言って、その後に感じる深い喪失感。息苦しさ。考えてみれば、そういう気持ちって千年前からひとつも変わっていないんですね。そしてそんな感情を自分のものとして知ることのなかったこれまでの私は、人間としてまだ一人前じゃなかったんだなと痛感しました。気づくのがいささか遅すぎたようですが」
その後、渡会はジムに現れなくなり、彼の秘書である後藤から彼が亡くなったことを知らされる。後藤は渡会の恋の顛末を語り、彼の遺品のスカッシュ・ラケットを「僕」に渡し、 渡会医師のことを忘れないでいてほしいと懇願した。
【後藤青年の恋】
渡会は天性の才覚を駆使してパートナーを持つ女性たちと技巧的な交際を重ねてきました。しかし、ある女性の出現によって技巧を手放したとき、悲痛な結末が訪れます。渡会曰く、女性は魂とは別の独立した器官を用いて嘘をつく。同じように渡会もまた独立器官を用いて恋をした。そこには当人たちの意思ではどうすることもできない他律的な作用が働いていました。
その一方で、ゲイの後藤が渡会に寄せる恋心は、慎み深いプラトニックなものでした。普通ではない人物への普通ではない恋情は、励ましも共感も得られない孤独な道程です。他律的な本能に揺さぶられながらも、自己を律する生き方がここにあります。そしてこの物語は、後藤青年がショックから立ち直り、これからの人生をうまく生きていくことを願って記述されたことが、最後に明らかとなります。
渡会医師は死の間際に何を考え、どのような境地に至ったでしょうか? その渡会医師の精神や人生観を後藤青年はどのように受け止めたでしょうか? それを知るすべは無く、いくつもの解釈の余地を残しながら物語は幕を閉じます。
さて、告白の内容の異様さにも関わらず、語り口の巧みさによって思わず引き込まれてしまいました。世知辛い世の中に食傷気味なあなたにおすすめします。読み終えたとき、自分の視野が少しだけ広がったような気分が味わえますよ♪