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本作は、どうしようもないダメ男ばかりに惚れて破局を繰り返す女性と、彼女を陰ながら見守る男がたどった不思議な話です。タイトルの『トーチソング』は主に1930年代に流行した片思いや失恋の気持ちを歌った流行歌。物語を包み込む純真無垢な旋律の裏には意外な事実が隠されていました。
『哀れを感じさせるバラード』
ニューヨークで知り合ったジャックとジョーンは、男女の垣根を超えたソウルメイト。前向きでエネルギッシュなジャックは、恋人を次々と替えながら都会生活を満喫していた。一方、穏やかで人当たりの良いジョーンが出会う相手は、酒や薬物の依存者や荒くれ者ばかり。
ある日ジョーンから電話がかかってくる。周囲からの言いがかりでアパートを追い出されかけていると彼女は言うが・・・
業者と近隣住民から受けたひどい仕打ちについて語る彼女は、いつもながらに清純で無垢に見えた。ジャックは彼女の語りの中に憤りや、苦々しさを聞き取ろうと注意深く努めたが、そんなものは聞き取れなかった。切羽詰まった響きさえなかった。彼はあるトーチソングを思い出した。そのやるせない、哀れを感じさせるバラードのひとつを。
その後も悪質な男たちから不遇な扱いを受けているジョーンの噂をたびたび耳にする。しかし、彼女と付き合った男たちが皆哀れな死を遂げていることも明らかになる。
戦時下の混沌とした時代に、結婚と離婚を繰り返しながらジャックは家庭と仕事の両方を失い身体も壊してしまった。そしてついに、場末の安アパートで床に伏せる彼の目の前に、死神さながらの黒服に身を包んだジョーンが姿を現した。
【黒い快楽】
《シャーデンフロイデ》とは、他者が不幸、悲しみ、苦しみ、失敗に見舞われたと見聞きした時に生じる喜び、嬉しさといったねじれた嫉妬感情です。週刊誌のスキャンダル記事や芸能ゴシップを扱う番組に耳目が集まるのは、誰の心にも《シャーデンフロイデ》が存在するためと言われています。黒服を身にまとったジョーンは、黒い快楽を追い求める《シャーデンフロイデ》の化身のような存在です。
田舎からニューヨークにやってきた若者たちが洗練されていく姿を描いているようでいて、話が進むごとに悪夢の様相を呈していきます。ジャックが落ちぶれた理由も、ジョーンが人の不幸を嗅ぎつける魔物になった原因も明かされず、そのあいまいさが恐怖をさらに増幅します。そこには誰もがジャックやジョーンのようになりかねないという寓意も込められているに違いありません。都市に潜むカフカ的不条理という作家ジョン・チーヴァーの本領がいかんなく発揮された作品でした。