村上春樹レヴューのブログ

自称村上主義者の私が独自の切り口で作品をご紹介します。

【アラスカに何があるというのか?】『頼むから静かにしてくれ』より

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  カーヴァーは前妻メアリアンとの25年に及ぶ夫婦生活で、頻繁に引っ越しを繰り返しています。前妻の奨学金を頼りに、イスラエルに半年間移住したこともありました。彼らの夫婦生活がどのようなものだったのか、次に紹介する作品はその一端を垣間見る思いがします。

 

《あらすじ》
ールとメアリは、同じブロックに住むジャックとヘレンから招待を受けた。水パイプを手に入れたので、それでハッシシ*1を一緒に楽しもうというのだ。仕事から帰ってきたカールはそのことを快諾する。風呂にゆっくりとつかって、その夫婦を訪問するまでの時を過ごす二人。

 

『バスルームにて』

彼女がバスルームの戸を開けた。「ビール持ってきてあげたわよ」と彼女は言った。湯気が彼女のまわりを通りすぎて、居間の方に流れていった。「もうすぐ上がるよ」と彼は言った。そしてビールを少し飲んだ」彼女はバスタブの縁に腰を下ろし、手を彼の腿に置いていた。「家がいちばんね」と彼女は言った。「家がいちばん」と彼も言った。

 

ールは仕事帰りに靴を購入して機嫌がよく、メアリはアラスカでの新しい仕事が手に入りそうで少し興奮気味。自宅のバスルームで交わす二人の会話は、はた目にはとても上手くいっている夫婦なのですが・・・。

 

『夜の訪問先にて』

「俺たちそろそろ行かなくちゃ」とカールが言った。「なんでそんなに急ぐんだよ」とジャックが言った。「もっとゆっくりしていけばいいじゃない」とヘレンが言った。「用事があるわけじゃないんでしょう」カールはメアリの顔をじっと見た。メアリはジャックの顔をじっと見ていた。(中略)「朝には仕事に行かなくちゃならない」とカールは言った。「この人ほんとに落ち込んじゃってるんだから」とメアリが言った。「シラケ鳥ってのを見てみたいと思う?これがまさにそれよ」

 

麻の煙を嗅いでいるうちにカールとメアリの夫婦仲はぎくしゃくし始めます。メアリはカールの内向きな性格や、勘の鈍さに苛立ってか、バカにしたような言葉を投げつけます。一方のカールは、メアリの友人ジャックに対する色目使いに業を煮やし、パーティーを早々に切り上げてしまいました。

 

【金星人と火星人】

 作家で心理カウンセラーのジョン・グレイは『男は金星から、女は火星からやってきた』と語っています。彼の説によれば、男と女の脳の構造の違いは人類が狩猟生活をしていた時代に形作られたもので、以来、男女がお互いを完全に理解し合うことは不可能になったと結論づけています。

 

 さて、本作を男女の脳の構造の違いを思いながら読み進めると、水面下に隠された事情が浮かび上がってきます。

 

 おそらく、カールとメアリは過去にも同じような不和を繰り返してきたのでしょう。引っ越しや転職によって幾度も関係の修復を試みてきたことが、会話の端々に感じられます。二人は脳の構造の違いによって互いを理解できないだけでなく、定住生活が続かない狩猟時代の気質を引きずっているようにすら感じられます。このあと二人は生活の場をアラスカに移すのですが、本能の赴くまま生きる二人に、夫婦の絆を手に入れる日は来るのでしょうか?

 

 薄々お気づきかと思いますが、カールとメアリは著者のカーヴァーと前妻メアリアンをモデルにしていることは明らかです。何気ない夫婦の日常を切り取った作品ですが、現実の二人が本書を出版して間もなく別居状態に入ったことを考えると、なんとも切ない気持ちにさせられます(-_-;)

 

*1:大麻については当時のアメリカではまだどの州も合法化に至っていませんが、嗜好品として普及は進んでいたようです。本作はワーキングクラスの一般的な夜の交流の風景だと想定してお読みください。