Amazonより
初期のカーヴァーの作品にはもっぱらシンプルな表現が用いられ、余分な説明が省略されているところに特徴があります。それは読者に物語の隠された部分を推測させ、想像力をかきたてる効果を狙ったものです。今回もその魅力の一端を感じていただければと思います。
ご紹介する作品は、妻の勧めで煙草をやめて二日目のエヴァン・ハミルトンの身の上に起きた話です。
その日、彼は息子の友だちの家に呼び出された。息子が借りていた友だちの自転車を乱暴に扱い、その挙句なくしてしまったのだ。同じように呼び出されたもう一人の父親とエヴァンは言い争って、取っ組み合いの喧嘩になる。力づくで相手を押さえ込む父親の姿を見た息子は、帰宅後も興奮した様子で父親に語りかける。
『ねえ、父さん』
「ねえ、父さん、おじいちゃんも父さんと同じくらい強かったの?つまりおじいちゃんが今の父さんくらいの歳の頃っていうことだけどさ。そして父さんがーーー」「そして父さんが九つの頃っていうことかい?それが知りたいのかい?うん、おじいちゃんは同じくらい強かったと思うよ」とハミルトンは言った。
子どもの喧嘩に大人を巻き込むことで起きたいざこざ。ありふれたシチュエーションの下で、父親と息子は心を通い合わせている。しかし、父親は手放しでそれを喜んでいるわけではなかった。
【自転車>筋肉>煙草】
タイトルの「煙草」は、禁煙というエヴァンが日常的に抱える厄介事を表しています。「筋肉」は彼のたくましさを指していますが、当然のことながら、暴力という単純な力関係で事態が解決したとは言えません。「自転車」は子供が成長の過程で遭遇するさまざまな試練を象徴しているように感じられます。
降って湧いたようなトラブルを通じて、エヴァンの心に親としての自覚と責任がうずきます。彼につきまとっていたニコチン依存があっさりと吹き飛んだことも、そのような心境の変化を裏付けています。自転車>筋肉>煙草といった順に優先事項を見立てることができますが、その一方で言葉にならない思惑も漂います。
カーヴァー自身は、本書を発表してから本格的なアルコール依存症に陥り、夫婦関係は険悪化し、離婚によって二人の子供を手放してます。本作にはなぜか、そんな現実とは真逆の理想的な父親像が描かれています。登場人物の内面世界の断片からさらに作品を掘り下げることも出来ますが、これから作品に触れる読者の楽しみを奪いたくないので今回の考察はここまで。