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レイモンド・カーヴァーの短編集『頼むから静かにしてくれ』に収録された作品を引き続きご紹介します。
カーヴァーが創作活動をしていた頃、短篇小説は長篇小説に比べて軽く見られることが多かったそうです。彼自身も、生涯にわたって長篇小説を書けなかったことに少なからず引け目を感じていたようです。今回はその《長篇小説》がキーワードです。
物語は夫婦が車で国境近くの田舎にやってきた場面から始まります。夫のハリーは自称小説家。ある日、どこか地方に移って暮らしたいと言い出し、妻のエミリーの提案でワシントン州北西部の彼女の生家にやってきました。しかし、彼が求めた理想はそこにはありません。妻に悟られまいと振舞いながらも、次第に失望感が高まっていきます。
『これからどうしよう』
「これからどうしよう、エミリー」と彼が後ろから声をかけた。彼女は足を止め、彼がその隣にやってきた。「生き続けるだけよ」と彼女は言った。それから頭を振って、微かに微笑んだ。そして彼の腕に触れた。「やれやれ、どうやら私たちにっちもさっちもいかなくなっちゃったみたいね。違う?」
ハリーは軽口をたたきながら、暖炉もトイレもなく、水道も電気も通っていない空き家を内見した。人気のない森の奥の一軒家のみすぼらしさが彼の決断を迷わせる。ふと見れば、エミリーは草原で側転をしていた。「ねえ、こういうのはどう?」 逆立ちをしながらやってきて、ごろりと仰向けになって尋ねた。「もう決めた?」
【決断の時】
ここに留まるつもりはない。しかし、苦境を打開する術もありません。踏ん切りがつかずにいるハリーの様子を見て、エミリーがおどけてはやし立てています。そのときふいに、マッチを持つ彼の手がぶるぶると震えだしました。
さて、彼が抱える苦境や、彼の手が震えた理由については、一切の説明がありません。読者としては、文章の行間に隠れた部分を探るしかなさそうです。へたな深読みは誤読をまねくかもしれませんが、このままでは終われません(-_-;)
ハリーが引っ越したいと思い立った箇所を読み返してみます。彼はこの三年間、サン・フランシスコに住んでいて、その前はロサンゼルスやシカゴやニューヨークにいました。そして、ニューヨークにいるときからずっと最初の長篇小説を書き続け、現在32歳となったという記述から、青年期のすべてを文学に費やしてきたことがうかがえます。
都市を転々としながら創作の環境を探してきた彼が辿りついたのは、カナダとの国境を接する森の奥の僻地。先延ばしにしてきた決断の時が訪れました。それは「まともな生活」と引き換えの「創作の夢の断念」です。おそらくエミリーも彼の思いを見透かしていたようで、ラストを締めくくる彼女のセリフには、温かな気遣いが感じられます。
森の奥の隠遁生活といえば、晩年のサリンジャーを彷彿とさせます。それが望ましい生き方なのかどうかはわかりませんが、作家を志す人が抱く理想形の一つなのかもしれません。また、「長篇小説」について言えば、カーヴァーは別のエッセイの中で、長編小説自体が苦手で、集中力は続かないし、我慢してまで読むのは嫌だと語っていますが、これはきっと劣等感の裏返しの強がりなのでしょうね。