本作は、カーヴァーの初期の作品の一つです。大学のワークショップで学んでいた作者本人と最初の妻メアリアンをモデルにしており、夫婦生活の「あるあるエピソード」が盛り込まれたコミカルな作品に仕上がっています。
《あらすじ》
ある夜、彼はリルケの一節を彼女に読み聞かせているうちに、彼女は束の間眠りにつく。しかし、彼が眠りにつこうとした時、彼女は突然目を覚まし、長い長い夢の話を始める。夢の話が終ると、結婚初期の思い出話が続く。彼はとにかく眠りたかったが、彼女の痛む両脚をさすってやりながら意識は何度か落ちかける。眠れない彼女は、なおも彼との会話を続けようとする。
『好きなもの、嫌いなものを片っぱしからあげてみてくれない?』
「マイク?」
彼は爪先でとんとんと彼女の足を叩いた。
「あなたの好きなもの、嫌いなものを片っぱしからあげてみてくれない?」
「今はそんなことわかんないよ」と彼は言った。「君が言えばいいじゃないか」
「あなたがあとで教えてくれるって約束したらね。約束よ」
彼はまた彼女の足をとんとんと叩いた。
彼女はとりとめもない話をひとしきり終えて彼に会話を促すが、結局先に眠られてしまう。眠ろうするいくつかの試みもむなしく、彼女は一晩中目を覚まして朝を迎える。・・・圧倒的な美しさをたたえた朝を!
【奥行きと同時存在】
小説はどれだけ精巧に描かれても、作り話であることに変わりありません。ただ、カーヴァーの作品は物語の背後に《奥行き》のようなものを感じさせます。
例えば、画家のセザンヌは絵画の平面上に3次元的な奥行きを同時に存在させることで、人の知覚が本質的に感じているものを表現しようとしたと言われています。同じように、小説のなかに《奥行き》を同時に存在させることは、私たちの精神が本質的に感じている何かを立ち昇らせる効果を狙っているのかもしれません。
本作においても、計算された場面設定やコミカルなやり取りは作り話ではありますが、随所に配された説明のつかない描写の中に、現実世界がもつ奥行きを感じさせます。このような虚構と現実の重なり(あるいはズレ)が、立体的で真実味のある豊かなイメージを作り出しているように思えます。
さて、これで予定していたレイモンド・カーヴァーの13作品を全てご紹介しました。実は短編集『頼むから静かにしてくれ』は2部構成になっていて、後半の9作品がまだ残っていますが、それについてはいつかまた別の機会に。次回から村上春樹のオリジナル作品のご紹介に戻りたいと思います。