本作はミニマリズムの旗手として知られるレイモンド・カーヴァーの代表作です。彼の作品は鋭い観察力と最小限の描写で私たち読者の想像力を刺激します。このような誰も真似出来ない作風の登場以来、時代の先端を意味する《ポストモダン文学》を自認する作品はその数を減らし、批評家もそれを口にしなくなったと言われています。
《あらすじ》
息子の誕生日パーティーのために、母親はパン屋にスコッティーの名をあしらったケーキを予約する。しかし誕生日の朝、スコッティーは自動車事故に遭い、病院で手当てを受けるが昏睡状態から醒めない。父親と母親は瀕死の息子を祈る思いで見守り、その後交替で家に戻り風呂に入った。その時、彼らの感情を逆なでするような不審電話がかかってきた。
『電話のベルが鳴った』
電話のベルが鳴った。
「はい!」と彼女は言った。「もしもし!」
「ワイスさんですかね」と男の声が言った。
「そうです」と彼女は言った。「ワイスの宅です。スコッティーのことでしょうか?」
スコッティーの容態がその後どうなったのか分からない。電話の主の正体も、その意図も明かされない。物語の空白を一つ一つ埋めていく創造的な読みが最後まで続く。
【ポストモダン文学の終焉】
個人的な私事ごとで恐縮ですが、作品を読みながら、6年前の自分の体験を思い返しました。当時、私の妻の癌はすでに原発部位を離れて転移を始めていました。医師からは抗がん剤の効果が見込めない悪性腫瘍であることが伝えられました。私たち夫婦に厳しい現実が突き付けられたのですが、私は怖くて自分の思いを言葉にすることが出来ず、また、そのことが苦しみをなお一層深める原因になりました。
その後、妻は奇跡的に健康を取り戻し、今では健やかな日々を送っています。それでも、たまにふとしたことであの時の恐怖がフラッシュバックしてきます。
初めて本作を読んだとき、思わず何度もページをめくり直し、書かれていない行間も凝視しました。そこには当時の混乱した私の一挙一動が再現されていたからです。そして、自分が体験した苦しみの正体が何であったのか、ようやく形として取り出すことが出来ました。カーヴァーがそうしたように、その時の気持ちを具体的に言葉にすることは控えます。
カーヴァーは人生のささやかな聖域を読者の心に映し出すことが出来る稀有な作家です。私たち読者は彼の作品を介して自己と対話をし、物語が終わった後も対話は続いていきます。こうした私たちの苦しみを癒し、生きる力を蘇らせる共感と共苦の読書体験を目にすると《ポストモダン文学》などといった形式的なカテゴリーが不要となった理由が分かるような気がします。
さて次回からはカーヴァー以降の作品が登場しますので、新しい文学の潮流を感じていただければと思います。お楽しみに!