海外作品のアンソロジー『恋しくて』から、ポストモダニズム以降に登場したラブ・ストーリー作品をご紹介しています。
ペーター・シャタムはスイス在住の作家です。ジャーナリスト、ライター、放送作家を経て1998年に小説家デビューしました。チェーホフやカミュ、レイモンド・カーヴァー、リチャード・フォードの影響を色濃く受け、その凝縮された文体に定評があります。
《あらすじ》
ララとシモンが一緒に暮らし始めて4ヶ月。レストランの上のうらぶれたアパートメントで、少しずつ二人の生活を形作る毎日を過ごしていた。そんなある日、ララは女の子の形をしたコルク抜きを買ってきた。その使い心地を試すために、シモンが階下のレストランにワインを買いに降りる。そのあいだ彼女は風呂に入り、ぼんやりとこの先のことについて考える。
『彼女は自分に言い聞かせた』
突然彼女はシモンが愛おしくてたまらなくなった。両腕を彼の身体にぎゅっとまわしたかった。一緒にベッドに横になり、彼の身体に自分を押しつけたかった。彼女はキッチンに行ったが、彼はいなかった。「シモン」と彼女は呼んだ。そして居間に行った。寝室ものぞいてみた。「シモン?」 彼はまだ下のレストランにいるんだわ、と彼女は自分に言い聞かせた。
5年後、10年後に彼の愛情がまだ続いているという保証はない。彼女が描く未来像のように、シモンが前向きな夢を抱いているのかもはなはだ疑問。そんな風に考え始めると、このアパートメントと同じように、シモンも何となくよそよそしく感じられてくる。
【事実婚の憂鬱】
ララが感じた不安は、心理学的に言えば「関係性喪失」です。かつて家族、世間、地域のなかでゆるやかなつながりをもって生きてきた私たちは、個人の自由という考えを持ち込むやいなやそれを「しがらみ」と見なしました。しかし、「しがらみ」を切り離していくうちに、ふと気がつけば誰とも何とも結びつかない自分がポツンと一人。誰しもこうした「関係性喪失」の孤立感に見覚えがあるのではないでしょうか。
そんな不安な気分に捕らわれたとき、他から見ればとるに足らないようなことでも、本人にとっては力強い支えとなるときがあります。きわめて個人的でありながら、どこか普遍的なつながりを感じる何か。その日、ララが何気なく買ってきた『女の子の形をしたコルク抜き』もそうした何かの一つです。
ララはそのコルク抜きの女の子の装飾に、母の子供時代の写真で見かけた衣装を思い浮かべます。明るい日差しの下での大家族を映し出した過去の記憶に、不思議な気持ちがこみ上げてきますがそこでストップ。なぜなら、彼女の気持ちは母とは真逆の、自立した自由な未来に向かっていたからです。
ワインを開けるとすぐに二人は身体を寄せ合い、コルク抜きの使い勝手など何処へやら。それはこの先に起こるララの運命を暗示しているようにも、あるいは、個人主義が蔓延する現代人の生き方を象徴しているようにも読み取れます。甘い夢から覚めたとき、彼女の不安は一層深まるのかも? そう考えると少し切ない気持ちになります。
甘い生活★★★ 不吉な予感★★
本作は、互いの生き方を尊重する事実婚カップルの憂鬱を描いています。多様性の時代を生きる私たちが、過去の大事な何かを見失って、孤立を深めているのではないかという問いかけが重く迫ります。こうした伝統や過去の再評価、文化的アイデンティティーの再考もポストモダン文学以降の特徴の一つと言われています。
さて、次回以降もラブ・ストーリーをご紹介していきますが、恋愛の純度が高まるにつれ底なしの欲望や狂気を宿した作品も登場します。何処まで語れるか分かりませんが、引き続きお付き合い下されば幸いです。