作者のトバイアス・ウルフは、アラバマ州バーミングハム出身です。高校を中退後、軍隊に入隊してベトナム戦争に従軍し、その後、オックスフォード大学やスタンフォード大学で文学・創作を学びました。1985年に発表した『兵舎泥棒』がペン/フォークナー賞*1を受賞し、現代アメリカを代表する実力作家として広く認知されています。
《あらすじ》
ギルバートの親友レイフは、恋人のメアリ・アンを残して父親と共に3週間のバカンスに行ってしまった。自分がいない間メアリ・アンの面倒をよろしくと、愛車の鍵を預けて。そこでギルバートがメアリ・アンを誘うと、彼女はこともなげに誘いに応じた。彼女の両親も二人の交際を快く受け入れてくれる。やがてギルバートはメアリ・アンと自分の未来を夢想し始めた。
『それでどうなる?』
あと二日で彼は戻ってくる。
そうね。
それでどうなる?
彼女は前屈みになり、まるで何か物音を聞きつけたみたいに、庭にじっと目をやった。彼は自分の吸う息と吐く息をひとつひとつ意識しながら、少しそのまま待った。
それでどうなる? と彼はもう一度言った。
メアリ・アンの両親がギルバートを歓迎した理由は、レイフと彼女の関係の進展を一時的に先送りするため。彼女がギルバートを受け入れたのも、そうした意図におもねる打算が働いていた。しかし、彼女はレイフが戻ってきたら、3週間のギルバートとの交際を無かったことにして、恋愛の続きを再開するつもりでいた。
【物語の復権】
かつてのポストモダン文学は伝統的な形式や既成概念に疑問を投げかけ、詩的な表現やメタファーを駆使して物語を解体する手法を頻繁に用いました。しかし、そうした手法は物語の解体そのものを目的化していまい、文学の停滞を引き起こしてしまいます。その反動からポストモダン文学以降は、物語の重要性が再考されるようになりました。
本作ではこの後、彼につけ込む人たちに嫌気をさしたギルバートが大胆な行動に出ます。訳者の村上春樹もハードな展開に『おお、そこまでやるか!』と驚きの声を漏らしています。もやもやとした長い伏線が回収されて、これぞ物語の面目躍如!といった感じも受けます。トバイアス・ウルフは、こうした誰もが漠然と感じつつ言葉にならない不安や焦燥を取り上げて物語化する技術に長けた作家と言われます。
失恋度★★ そこまでやるか★★★
これまでご紹介してきた《ラブ・ストーリー》はどれも極めてシンプルな筋書きになっています。《文芸モノ》と呼ばれた過去の雰囲気は払拭され、日常感覚に根差した自然な表現になる一方で、現代思想の反駁に耐え得る精巧さを持ち合せています。誰もが容易く内容を理解できる一方で、逆に作品の優劣を見極めることは、専門家以外には不可能な域にまで達しています。
私たち読者は一人ひとりが勝手に作品の価値を評価し、個人的に満足出来ればそれで良いのでしょうか? 優れた作品の良さを巡って共通認識を積み上げていくような読書の楽しみはなくなるのでしょうか? 性急に結論を出す前に、次回も若手作家たちの《ラブ・ストーリー》の特徴についてさらに探ってみたいと思います。