村上春樹レヴューのブログ

自称村上主義者の私が独自の切り口で作品をご紹介します。

【⑦ジャック・ランダ・ホテル】(『恋しくて』より)

 アリス・マンローはカナダを代表する作家として不動の地位にある人物です。2005年には、「タイム」誌の「世界でもっとも影響力のある100人」に選ばれ、2009年にブッカー国際賞を、2013年にノーベル文学賞を受賞しました。

 

 彼女は女性の生き方を模索する作品を書き続けた作家です。母性や優しさや家庭を守るといった既成概念に捉われない新しい女性の生のあり様を描く作品群のひとつに本作も位置付けられるでしょう。

 

《あらすじ》
ィルが若いオーストラリア人の女性を追って内縁の妻ゲイルの元を去った後も、彼女はウィルの母親クリータと共に変わりなく暮らし続けていた。だが、そんなある日、ゲイルは、ウィルが母親に宛てた手紙を目にする。それは彼女の目につく場所にさりげなく置かれていた。

 

『彼女は初めて理解した』

そのウィルの筆跡を目にしたとき、彼女は初めて理解した。まわりのすべてが自分にとって、もう何の意味も持たぬものになってしまったことが。ウォリーの町にある、生け垣も塀もないこの前ヴィクトリア朝様式の家も、ヴェランダも、出される酒も、彼女がいつも眺めている、クリータの家の裏庭のキササゲの木も。

 

イルはカナダの地元で経営していた店を売り払い、ウィルを追ってオーストラリアに渡った。そして現地に部屋を借り、別人になりすまし、元パートナーのウィルを相手に奇妙な文通を始める。

 

【変身物語のモチーフ】

 別人になりすまして恋人の本音を聞き出そうとするくだりは、ギリシャ神話の『変身物語』などで見かけるモチーフです。いい加減で身勝手な男と、そんな男を追いかける破天荒な女が繰り広げる『現代版の変身物語』。リアルさが先行して風情を欠いているものの、作者の語りの巧みさによって、いつしか物語に引き込まれていきます。

 

『愛―許し—忘却―永遠』

そのとき既にクリータは死に向かっており、ウィルはサンディーとつきあっていた。この夢は既に始動していたのだ。ゲイルの旅行と、なりすましも。そしてドア越しに叫ばれたと彼女が想像した――信じた――いくつかのいくつかの言葉も。

愛――許し。

愛――忘却。

愛――永遠。

 

イルがウィルのあとを追った理由。それは後戻りできない過去に『許し』を求めて。頑ななる自我を『忘却』しロマンに飛び込むため。至上なる愛の情熱は過去も未来もなく、今この瞬間を再び輝かせ始める。それが『永遠』。

 

【愛とは?】

 そもそも彼女の求めた愛とは何でしょうか? 物語はそれが恋愛の機微だけでは無いことを示唆しています。ウィルと見たカナダの美しい自然、彼の母親の気品ある暮らしぶり、生き方を肯定し優しく包む仲間との絆。そうした何ものにも代えがたい生の意味を取り戻そうとして彼女は衝動的な行動に走るのですが、切ない結末の予感も漂います。

 

 変身願望★★  至上なる生★★★ 

 

 さて、ポストモダン以降の現代小説についていえば、多様性と専門性が急速に進み過ぎて、その射程範囲を小さく限定する傾向があると言われています。本作はギリシャ神話のモチーフや愛の考察に加え、女性の生き方に関するさまざまなテーマを詰め込んだ《総合小説》を志向しています。昨今の文学の「小ぶり化」傾向に立ち向かおうとするマンローの気概がひしひしと伝わってきます。