村上春樹レヴューのブログ

自称村上主義者の私が独自の切り口で作品をご紹介します。

【⑨モントリオールの恋人】(『恋しくて』より)

 作者のリチャード・フォードはミシシッピ州生まれ。ニューヨーク、シカゴ、メキシコなどに移り住み、その土地に根ざした作品を発表。1996年にピューリッツァー賞とPEN/フォークナー賞を同時受賞した。現代アメリカ文学の重鎮的存在といわれます。

 

《あらすじ》
デレインは家族を持つ身でありながら、仕事上の都合で弁護士のヘンリーと頻繁に一緒に旅行をし、そこで関係を持ち続けた。彼らは互いに愛し合っていたが、そろそろこの関係は切り上げなくてはならない。別れの日、二人はモントリオールのホテルの部屋にいた。そこに不吉な電話の音が鳴り響いた。

 

『ここにはマデレインはいない』

「誰を出してほしいって?」とヘンリーは言った。「マデレインと話をしたいっていってるんだよ、この野郎」と男は言った。マデレインの名前が彼の頭の中に小さな騒乱のようなものを引き起こした。「ここにはマデレインはいない」とヘンリー・ロスマンは嘘をついた。

 

メリカではこの手の争いには損害賠償が絡むが、ここカナダではたぶんそれはないだろう。動揺するマデレインをホテルの裏口へと逃がすと、ヘンリーは頭に血の登った夫の待つロビーへ向かった。辣腕弁護士として冷静に対策を練りながら。

 

【ダーティーリアリズム】

 成りゆきの情事に終止符を打つ。被害者の夫に涼しい顔で嘘をつく。その背後に仕組まれた企て。人間の実存を描くこうした手法は《ダーティーリアリズム》と呼ばれます。生身の恋愛は常にこうした自己中心性を伴っていて、愛し合うことの挫折や相克を引き起こします。そうした現実的な描き方が意味するものは何でしょうか?

 

『本当のものと、本当じゃないもの』

「私たちの関係を封印するには、こうするのがいちばんいいように思えたの。本当のものと、本当じゃないものとの違いを誇張する。わかる?」彼女は弱々しく微笑んだ。

 

デレインは二人の恋愛に不倫の罪という日常との対峙を企てた。そうすることで二人が成し遂げようとしたモノの意味がわかるかもしれないと。密かに今回の企てを仕掛けた彼女は、ヘンリーからはるか遠く離れた領域に進もうとしていた。

 

【遠い日の花火】

 訳者のあとがきによれば、本作は『大人の練れたラブ・ストーリー』です。男は恋の駆け引きを精神の向上と見なし、女は恋愛以上のものそこに求めていた。二人の関係が終りを迎えた今、彼らは自分たちが辿った道のりを振り返る。そこには、あるべきはずの罪の意識も、互いを求め合う理由もすでに存在しない。愛は微かな可能性としてぼんやりと漂う。私は昔お酒のCMで流れていたあのセリフを思い出しました。

 

     恋は、遠い日の花火ではない。

 

 何気なく私の記憶に残っていたこの言葉には、失われた恋愛の諦観が感じられます。誰しもいつか、恋の純粋な想いを失ったことに気付く時がやってくるのかもしれません。この複雑で難解な物語も、失った恋の残像をしみじみと味わうために描かれたと思われます。

 

   大人の恋愛★★★ 遠い日の花火★★

 

 さて短編集『恋しくて』のご紹介も残すところあと一作となりました。最後は村上春樹自身の書き下ろし作品です。最後まで読んでいただければ幸いです。