『恋しくて』に収録された10篇のラブ・ストーリーをご紹介します。恋愛に関して初級レベルの私が扱うので、至らない部分が散見されると思います。作品の価値を損なわないよう心して記述していくつもりです。
今回の作者マイリー・メロイはモンタナ州ヘレナで生まれ育ちました。ハーバード大学で学士号を取得し、カリフォルニア大学でMFA*1を取得した才女。「ザ・ニューヨーカー」「パリス・レビュー」にたびたび作品が掲載される短編の名手です。
《あらすじ》
作曲家を目指す優等生のウィリアムと、ダンサー志望の奔放で可憐なブライディー。ウィリアムは密かに彼女のことを想っているが、内気さゆえになかなかアプローチ出来ない。ある時、弁護士でもあるブライディーの父親から、彼女と共に「二重代理人結婚」の代理人になることを打診された。
『ふくれっ面をしたブライディー』
ふくれっ面をしたブライディーは、そのへんのただの女の子にしか見えなかった。人生をかけて愛するに足る女性には見えない。彼は微かな希望を感じた。彼女がいつか自分を好きになってくれるだろうという希望ではない。いつか自分が彼女の虜であることをやめ、自由の身になれるかもしれないという希望だ。彼女はチューインガムをくちゃくちゃ噛んでいた。
代理人の役割を真剣に受け止めていたウィリアムに対し、ブライディーは虫の居所が悪くてやる気がない。演劇学校への願書のことで母親にとがめられたのが原因らしい。形だけの結婚でありながら夢心地でこの日を迎えたウィリアムは、たちまち正気を取り戻した。
【二重代理人結婚】
メロイの出身地モンタナは、「二重代理人結婚」を認めている唯一の州です。花嫁も花婿も出席せずとも代理人が結婚式を行えば、正式に結婚したことが法的に認められます。例えば、出兵した花婿にもしものことがあれば、残された遺族は給付金の受取人になるため、この制度は第二次世界大戦中の兵士たちに大いに活用されました。
本作には同時多発テロの衝撃とイラク侵攻、その後の捕虜虐待事件などエピソードが描かれています。そして、時代に逆行するような代理婚制度を通じて、若い二人が逡巡の末に結ばれるという話なのですが、私には少し気になった点があります。もしこれが我が国の作品であれば、読者も批評家も物語のテーマそっちのけで、戦争を利用した制度や戦争そのものの賛否について、作者に政治的な態度表明を要求するのではないでしょうか。
確かに社会問題への言及は読者の興味を引き付けますが、政治的プロパガンダに陥ったり、逆に大衆におもねったりする恐れがあります。その点、本作は生々しい記憶が残る9.11を扱いながら、敢えてそこに一定の距離を置く姿勢を貫いています。むしろ語らないことで、しなやかで強靭な倫理観が作品全体に感じられます。
ピュアな恋愛観★★★ 確かな倫理観★★★
さて、こんな調子で残り9作品をご紹介していきます。とろけるような甘い恋の記述にも挑戦するつもり!ただ、訳者村上春樹の『恋愛甘苦度』によれば、本作以降は甘味よりも苦みが増していくので、恋愛の沼に翻弄されること必至ではありますが(*´з`)