村上春樹レヴューのブログ

自称村上主義者の私が独自の切り口で作品をご紹介します。

【⑤L・デバードとアリエット 愛の物語】(『恋しくて』より)

 作者のローレン・グロフは1978年ニューヨーク州生まれ。2015年に長篇作品『運命と復讐』で全米図書賞最終候補*1となり高い評価を得ました。いまアメリカで最も期待される女性作家のひとりです。

 

《あらすじ》
水泳の金メダリストであり、詩人でもあるL・デバードは、ある時資産家の娘である車椅子の少女アリエットのリハビリ・トレーニングを引き受けることになる。言葉を交わし、身体が触れ合ううちに、二人は恋に堕ちる。その頃、巷はスペインから報告された謎めいた病気の話題でもちきりになっていた。

 

『あなたの愛人でいたいの』

「私、結婚したくないの」

彼はアリエットを見る。

「つまりね」と彼女は言う。「私はね、あなたの奥さんになるよりは、あなたの愛人でいたいの。これが何であるかを知るために、結婚指輪やら儀式やらは必要じゃない」

彼はしばらく黙っている。それからLは言う。「ああ、アリエット。君のお父さんはそいつを必要とするさ。誰がなんと言おうと」

 

とアリエットは駆け落ち先で赤ん坊を授かったが、それを公表しないでひっそりと生活していた。しかし、次第に体調を崩していくアリエットの身を案じたLは、やむなく彼女を手厚い庇護の得られる実家に帰した。ところが事態はそれだけでは収まらず、二人に厳しい試練の時が巡ってきた。

 

スペイン風邪

 本作のキーワードでもある『スペイン風邪』は、アメリカ社会に大きな影響を与えています。当時のアメリカは第一次世界大戦に参戦しており、兵士や市民の大規模な移送を行っていました。このためにウィルスは急速に広まり、数百万人以上が感染し、約67,000人以上の人々が命を失っています。

 

 もしかすると、先般のコロナ禍の辛い記憶によって、読みが妨げられる読者もいるかもしれませんが、私はパンデミックの史実を現代的視点でひも解いていく手法を興味深く読みました。

 

 物語の前半はラブ・コメディーのような二人の恋愛が描かれ、緊急事態下の世相はどこか現実味を欠いたものに。しかしある事件をきっかけに、Lが生死の境をさまよう局面に切り替わると、次第に人の命の重みが迫って来るようになります。二人は離ればなれの人生を余儀なくされますが、アリエットの新しい時代認識と、L・デバードの不屈の精神が世の中に希望をもたらす様子がドラマチックに描かれます。

 

 村上春樹はあとがきで『短編なのに、まるで大河を思わせるような壮大な歴史小説仕立てになっている』と述べていますが、まさにその通り。作者のローレン・グロフが数々のヒットを飛ばすベストセラー作家であることも納得がいきます。

 

 外出制限下の恋愛事情★★ 壮大な歴史ドラマ★★★

 

 本作には《物語性の復権》《アイデンティティの再発見》というポストモダニズム以降の潮流に《グローバルな社会問題》が加わります。情報が瞬時に共有される現代では、誰もが地球規模の問題に関心を寄せるようになりました。気候変動、貧困格差、人権侵害、紛争、疫病は、私たちのものの見方に浸透し、物語を語るうえで切り離すことが出来ません。そんなことを頭の片隅におきながら、次回も引き続き海外作家のラブ・ストーリーをご紹介します。

*1:全米図書賞は、アメリカで最も権威のある文学賞の一つ。ローレン・グロフはその最終候補に3度選ばれている。