これまで、ネタバレを避けながら物語の核心にふれないようにしてきましたが、逆に村上作品を楽しむための基本情報をしっかりとご紹介できているのではないかと密かに自負しています。さて、【第三部】も引き続き作品の周辺部分をご案内していきます。
《第三部の途中(69章)までのあらすじ》
私は高い壁に囲まれた街で、いつものように図書館に通っている。ある日、イエロー・サブマリンのヨットパーカーを着た不思議な少年を見かけた。彼はじっとこちらを見つめている。彼は何か私に伝えたいことがあるのだろうか?
『きみはぼくの後継者になる』
「ぼくは多くのことをあなたから学びとりました」「そしてきみはぼくの後継者になる」「はい、ぼくは〈夢読み〉としてのあなたのあとを継承することになります。どうかぼくのことは心配しないでください。前にも言ったように、古い夢を読み続けることが、ぼくに与えられた天職なのです。ぼくはここ以外の世界では、うまく生きていくことができません」
街の暮らしを続けているために、外の世界で起きた出来事について「私」は何も知らない。その少年は外の世界から来て、「私」に代わって〈夢読み〉を引き継ぎたいと申し出る。しかし、今の「私」にはその決断を下すための時間が必要だ。幸い、この街には無限の時間が存在する。
【集合的無意識】
《集合的無意識》は、人間の無意識の深層に存在し、個人の経験を越えた先天的な領域です。この領域には、過去の人類の経験や遺伝情報が蓄積されていて、人間の本質の一部を形成しているとされています。心理学者ユングは、神話や伝説などはこの《集合的無意識》から生まれ、人々に共通する心理的体験を表現するための共通言語だと考えました。
『不確かな壁の街』は、この《集合的無意識》によく似ています。16歳の少女はどこからかこの世界観を手に入れ、『私』を介してイエロー・サブマリンの少年へと継承されます。彼らに共通しているのは、現実世界への恐怖や絶望、諦念といった情動です。この作品が今後、長く読み継がれる神話や伝説の一部を為すのか分かりませんが、こうした切実な思いから生まれる物語によって、文化や歴史に刻まれた人々の記憶に触れ、その記憶を分有*1していくことができるのではないでしょうか。
以上で本書のご紹介は終わります。これでようやく【第一部】【第二部】【第三部】の飛ばし読みしてきた結末部分を味わう準備が整いました♪ 全て読み終えたあとの感想については、いずれまた別の機会に。
*1:複数の人が特定の記憶や経験を共有し、それぞれがその一部分を担うこと。たとえば、戦争や災害の体験を分かち合うことで、それを直接経験していない人々もその記憶を共有し、社会全体でその記憶が引き継がれる。