村上春樹レヴューのブログ

自称村上主義者の私が独自の切り口で作品をご紹介します。

【街とその不確かな壁(第一部)】

 6年ぶりの村上春樹の新刊をご紹介します。読者の楽しみを奪わないために、私自身が最後まで読み切らないことで結末をばらしてしまう過ちを防ぎたいと考えています。言い換えれば〖読み終えていない本について堂々と語る〗というのが今回のブログの試みです(^^)/

 

《第一部の途中(23章)までのあらすじ》
前も無き16歳のきみと17歳のぼく。昨年の秋にきみと知り合い、親しく交際するようになって八ヶ月経った。きみは不思議な街の成り立ちについて語り、ぼくはそれをノートに書き留めた。その夏、二人はそんな共同作業にすっかり夢中になった。

 

『本当のわたし』

「本当のわたしが生きて暮しているのは、高い壁に囲まれたその街の中なの」ときみは言う。「じゃあ、今ぼくの前にいるきみは、本当のきみじゃないんだ」、当然ながらぼくはそう尋ねる。「ええ、今ここにいるわたしは、本当のわたしじゃない。その身代わりに過ぎないの。ただの移ろう影のようなもの」

 

くは本当のきみに出会うために、高い壁に囲まれた街の小さな図書館にやってきた。なぜなら、壁の外のきみは『心のこわばり』を抱えたまま、ぼくの人生から跡形もなく姿を消してしまったから。

 

箱庭療法

 《箱庭療法》とは心理療法の一種で、箱庭(サンドトレイ)を用いた手法です。セラピストが見守る中で、クライエントは様々な小道具を用いた箱庭を作成し、その中で自由に遊び、自己表現します。言語療法だけではアクセスしづらい無意識の深層心理にアプローチすることで問題を読み解き、適切なアドバイスを行うことが出来るとされています。

 

 物語に描かれる『高い壁に囲まれた街』は、この《箱庭療法》の概念を下敷きにしていると思われます。『きみ(=クライエント)』の無意識が作り出す『高い壁に囲まれた街(=箱庭)』を、『ぼく(=セラピスト)』が読み解くという構造。しかし、『きみ』に逆転移*1を引き起こした『ぼく』は、次第に『街』に魅入られていきます。

 

 16歳の少女が作り出したその『街』は、不思議な営みによって成り立っていました。『街』は外界からもたらされるさまざまな感情(哀しみ、迷い、嫉妬、恐れ、苦悩、絶望等々)を『古い夢』のなかに閉じこめて平穏を保ちますが、一方で、そうした感情が殻を破って飛び出してくることを恐れ、その力を鎮めるために『夢読み』というベント(排気口)を必要とします。

 

 外的世界の触知可能な現実と、内的世界の虚構の安らぎ。二つの世界を行き来する『ぼく』は、どちらの世界に留まるべきか決めかねるのですが、その結論は如何に!?

 

 さて、本作は『街と、その不確かな壁』という過去の習作を引き継いでいますが、あいにく私はその作品を読んでいないので、どこまで忠実に再現されているのか分かりません。また、なぜ過去の作品をリメイクしたのか? 新たなこの作品で何を描こうとしているのか? 物語がどのような結末に到るのかも知らずに書き綴っている今の私には見当もつきませんが、ともかく手探り状態で【第二部】へと続きます。

*1:カウンセリングの中で、クライエントがカウンセラーに対して向ける感情や思いを「転移」と呼び、その反対にカウンセラーがクライエントに向けるものを「逆転移」と呼ぶ。