『 第2部予言する鳥編』では、主人公のトオルが自分の内なる偏見と暴力に向き合う姿が描かれます。
このような《自分探し》をするなかで、極度のストレスが再来する記憶に出会うこともあるでしょう。しかし私自身は、必ずしも全ての人が心の傷に向き合うべきだとは思いませんし、それに代わる安全な疑似体験として文学の役割があると考えています。ともかく、暗くかび臭い涸れた井戸の底から始まるこの物語を引き続きご紹介します。
《あらすじ》
トオルとクミコは二人でゼロから生活を作り上げてきた。三年目にクミコは堕胎手術を受けたが、それを除けば二人は親密な関係を守ってきた。しかし、彼女は仕事で出会った男と関係を持ち、衝動的にトオルのもとを去る。トオルは加納クレタ(トオルと共に成長するアニマ*1)から、二人で連れ立ってヨーロッパに行き、悩みをすべて放棄することを勧められる。
『よそで作られたもの』
「自分ではうまくやれた、別の自分になれたと思っていても、そのうわべの下にはもとのあなたがちゃんといるし、何かあればそれが『こんにちは』って顔を出すのよ。あなたにはそれがわかっていないんじゃない。あなたはよそで作られたものなのよ。」
六年前に結婚したとき、トオルとクミコは二人で全く新しい世界を作ろうとした。しかし、女子高生のメイに言わせると、それは誰にもできない間違った考え方。井戸の底のトオルに向けて、トオルとクミコは仕返しをされているのだと彼女は言い放った。二人が捨ててしまおうとした世界からの、捨ててしまおうとした自分達自身からの仕返しだと。
【本当の自分】
禅に『父母未生以前の本来の面目(自分の両親が生まれる前の「本当の自分」とは一体何なのか)』という公案があります。両親が生まれる前の自分について問われても、どう答えてよいのか困りますが(*´з`) それでも敢えて想像を巡らせてみると、遠い過去から連なる記憶と血の混じり合った《本当の自分》の在り様がぼんやりと浮かびます。
物語には、街で出会ったギターケースを抱えた男との乱闘によって、かつて日本軍が大陸で振るった暴力と同じ血が自分の中に流れていることを悟ったトオルの心境が描かれます。《本当の自分》をそこに認めた彼は『逃げられないし、逃げるべきではないのだ』と自分に言いきかせます。時間と空間が遠く離れたノモンハンの歴史と、今ここでトオルが起こす行動がシンクロし始めます。
一方でクミコが受けた堕胎手術は、彼女の家系にまつわる負の遺伝子を断ち切るためでした。しかし、それはトオルの顔に赤ん坊の手のひらのあざを作り出します。幼い命に対して行われた暴力の刻印。これもまたトオルの内なる暴力の一部であるとするなら、《本当の自分》とはこうした自と他を包含する責任のようなものでしょうか?
『第3部鳥刺し男編』ではクミコを取り戻すためのための闘いがいよいよ始まります。それは極めて個人的な闘いであると同時に、人々の期待を背負った象徴的な闘いとなります。つづきは次回のブログにて。