本作は3部構成なので本ブログも3回に分けて投稿します。
『第1部泥棒かささぎ編』には、平穏な日常に潜む崩壊の予兆が漂います。以前までの村上作品であれば、主人公は他者との関係に距離を置いて自分探しをするのが常でしたが、本編の主人公トオルは踏みとどまって新たな関係性の構築を模索します。《シーク&ファインド(聖杯伝説)》から《ビルドゥングスロマン(成長物語)》への変貌を遂げた中期村上作品の代表作をご紹介します。
《あらすじ》
岡田トオルは妻のクミコとともに平穏な日々を過ごしていたが、猫の失踪や謎の女からの電話をきっかけに奇妙な出来事に巻き込まれる。姿を消した猫を探しにいった近所の空き地で女子高生の笠原メイと絆をむすび、水の霊媒師と称する加納マルタ、その妹クレタと出会い不思議な幻想に遭遇する。
『他者について理解するのは可能か』
ひとりの人間が、他のひとりの人間について十全に理解するというのは果たして可能なことなのだろうか。つまり、誰かのことを知ろうと長い時間をかけて、真剣に努力をかさねて、その結果我々はその相手の本質にどの程度まで近づくことができるのだろうか。
その夜、トオルはクミコの寝ている隣で、彼女についていったい何を知っているのだろうかと自問します。それはある些細な出来事がきっかけでした。あとになって分かりますが、そのときの彼は、まさに問題の核心に足を踏み入れていました。
【内なる偏見と暴力】
ブローティガンの短編『アメリカの鱒釣り』に『〈アメリカの鱒釣りホテル〉208号室』という章があります。そこでは一匹の猫が幸せに過ごしているのですが、部屋の主人は外の世界の偏見や暴力と闘うことで、その暮らしを守ってきたという内容です。
ブローティガンをリスペクトする作者は、本作にも『208号室』を登場させますが、猫がいないばかりか、邪悪なものが忍び寄る危険な場所として描かれています。この『208号室』をはじめ、ジャクリーン・ケネディのような髪型の人物が登場したり、パーシー・フェイスが奏でる「夏の日の恋」が流れてくるなど、アメリカの60年代のアイコンがちりばめられていて、作品に奇妙なグローバリズムを形成しています。
その一方で、ノモンハンでの戦争の血なまぐさいエピソードが挿入されます。それは日本史の闇に光を当てると同時に、現代社会に潜む暴力性を読み解こうとする意図が感じられます。これもやはり作品独特の切り口を形成しています。
さて、『第2部予言する鳥編』ではトオルは内なる偏見や暴力と向き合い、自分が失ったものの真相に迫っていくのですが、この続きは次回のブログにて。