今回ご紹介するカヴァーの作品は、ありふれた日常が舞台になっている初期の作品です。しかし物語は、その背景についてなんの説明の無いままフェードアウトしてしまいます。初めて読み終えた時、私はまるでキツネにつままれたような気分になり、ラストシーンの残像がしばらく頭から離れませんでした。
《あらすじ》
三人の姉妹、母親、そして祖母が、赤ん坊のまわりを取り囲んでいる。「赤ん坊が好きなのはこの中で誰か?」「赤ん坊の顔は誰に似ているのか?」幼い姉妹たちの屈託のない会話が飛び交っていた。一方、父親は一人離れて台所で家族の会話を聞いていた。
『お父さんは誰に似てる?』
「わかった、わかった!」とキャロルが言った。「この子、お父さんに似てる!」みんなはさらに顔を近づけた。「でもお父さんは誰に似てるのよ?」とフィリスが訊いた。「お父さんは誰に似てるのよ?」とアリスが繰り返した。そしてみんなはいっせいに台所の方に目をやった。
台所では、父親が家族に背中を向けてテーブルの前に座っていた。平穏な家庭の一場面の中で、突然投げかけられる「お父さんは誰に似てるのよ?」という奇妙な問い。この言葉が発せられた瞬間、家族が抱える深い闇が姿を現した。
【氷山の理論】
ヘミングウェイは『午後の死』という作品の中で、彼が得意とする小説技法について語っています。それは物語の輪郭の一部だけを描くことによって、隠された主題を読者に想像させることが出来るというもので、《氷山の理論》とも呼ばれています。
もし作家が、自分の書いている主題を熟知しているなら、そのすべてを書く必要はない。その文章が十分な真実味を備えて書かれているなら、読者は省略された部分も強く感得できるはずである。動く氷山の威厳は、水面下に隠された八分の七の部分に存する。(『午後の死』より)
カーヴァーもこの理論をベースにして短編小説を書いているようです。そして本作で水面下に隠された主題とは、彼自身の実生活から来る心象風景に思えます。本作の具体的な結末については触れませんが、というよりも、具体的なことはバッサリと切り落とされてしまっています。
本作から私が想像した心象風景は、妻と子供を抱えながらの学生生活と夜勤の仕事を続けるカーヴァーの姿です。それに加えて、アルコール中毒で入退院を繰り返すという鬱屈した私生活は、彼の創作の核を成したに違いありません。ただしそれは、ヘミングウェイにおける狩猟や闘牛、戦争などといったタフでマッチョなものとは対極にありますが。
いずれにせよ、カーヴァーは人生に対する優れた洞察と天性の文才によって、短篇小説の名手と言われるまでになります。謎に包まれたカーヴァー作品を読み解く手がかりが少し見えてきました。次回にご期待下さい!