村上春樹レヴューのブログ

自称村上主義者の私が独自の切り口で作品をご紹介します。

【隣人】『頼むから静かにしてくれ』より

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カーヴァーの描く小説の世界観は「ダーティー・リアリズム」と呼ばれています。白人労働者階級が遭遇する無秩序な現実の一面を描いたことで、当時の米文学界に衝撃を与えたことからそう呼ばれます。次に紹介する作品*1にも、そんな人々の生活に潜む不穏な空気が漂っています。

 

《あらすじ》
ルとアーリーンは平穏に暮らすカップルだったが、隣人のストーン家は自分たちよりも充実した輝かしい人生を送っているように見える。あるとき、旅行に出かけるというストーン夫婦に猫と植木の世話を頼まれた。二人は代わるがわる誰もいない留守宅に入りびたる。猫の餌やりもそこそこに、ビルは勝手にウィスキーを拝借し、洋服を試着し、冷蔵庫を漁り始めた。

 

【戸棚を全部開けて・・・】

彼は戸棚を全部開けて、中にある缶詰やらシリアル食品やらパッケージ食品やらカクテル・グラスやらワイン・グラスやら陶器やら鍋かま類を全部点検した。冷蔵庫も開けた。セロリの匂いをちょっとかぎ、チェダー・チーズをふたくち齧り、林檎を食べながらベッドルームに行った。ベッドはすごく大きく見えた。

 

まりはちょっとした好奇心でした。訳もなく沸き起こる性的な高揚感が後押しし、徐々にエスカレート。やがて後戻りのできない行為に及んでいった。

 

【リアルな感覚】

 現代社会は秩序と正義の名のもとに、個人の領域が日々侵蝕されていると言われます。週刊誌の見出しやテレビのワイドショー、ネットやSNSを通じて拡散していくスキャンダル。果たして私たちが日々失っているものの実体とは何でしょうか? 私たちが守るべきものはいったい何なのでしょうか?

 

 以前ご紹介した『野球場』という作品でも取り上げましたが、健全な心の状態を保ちながら他人の私生活を直視し続けることなど誰にも出来ません。私たちが目にし耳にする《スキャンダル》の大半は、都合よく加工されたファンタジーです。あるいは無意識にそう思い込むことで、私たちは正気を保っています。

 

 物語のなかのビリーとアーリーンの行為は、バーチャルな情報が氾濫する世の中にあって、個人の領域を犯すというリアルな感覚が、どれほどグロテスクなものであるかを再現しています。そして、その身につまされるような寂寥感は、逆に自分の中にまだ正常な感覚が残っていることに気づかせてくれます。おそらく、私たちが失ってはならないモノがそこにあります。

*1:本作によってカーヴァーは高級商業誌マーケットの進出を果たした。また、本作は精神分析的批評の対象として、数多くのアンソロジーに収められている。