村上春樹レヴューのブログ

自称村上主義者の私が独自の切り口で作品をご紹介します。

【偶然の旅人】(『東京奇譚集』より)

 作品集『東京奇譚集』から短篇作品をご紹介していきます。本書は全体を通じて「家族の関係性」が描かれています。血を分けた家族であっても気持ちが通じ合うとは限らない。その一方で親から子へと受け継がれるさまざまな呪縛。硬直した関係を一変させる出来事が《奇譚》として描かれています。

 

 最初にご紹介するのは、偶然の符号が重なって、思いもよらない邂逅を果たした姉弟の話です。

 

《あらすじ》
はピアノの調律師をしている41歳のゲイである。火曜日になると車でアウトレット・ショッピング・モールに通い、カフェでコーヒーを飲みながら本を読んで過ごした。ある火曜日の朝、隣のテーブルで同じように本を読んでいた女性が彼に声をかけてきた。二人がそのとき読んでいたのは同じ著者の同じ本だった。

 

『僕らの視界に浮かび上がるメッセージ』

「僕はそのときにふとこう考えました。偶然の一致というのは、ひょっとして実はとてもありふれた現象なんじゃないだろうかって。(中略)しかしもし僕らの方に強く求める気持ちがあれば、それはたぶん僕らの視界の中に、ひとつのメッセージとして浮かび上がってくるんです。」

 

然にも同じディッケンズの本を読んでいたことをきっかけに、彼はその女と知り合った。二人の関係が親密さを増すなかで、彼は男女の関係に進むことを避けるために、自分がゲイであることを告白した。涙ぐむ女、耳のほくろ、乳癌の告知・・・偶然にも一致する符号の連鎖が、長らく音沙汰の途絶えていた姉のもとへと彼を導いていく。

 

【語りえぬものごと】

 哲学者のヴィトゲンシュタインは、この世界と言葉は極めて忠実な対応関係にあると考えました。そして、真偽の確かめられない言葉は世界を正しく記述することができないことから『語りえぬものについては、沈黙せねばならない』と語り、思想界にセンセーションを巻き起こしています。

 

 例えば、「いかに生きるか」「神とは何か」「虫の知らせ」といった事柄は、真偽の判断ができないばかりか、万人に共通する意義や価値を見出すことが出来ません。ヴィトゲンシュタインによれば、それは論理的世界の外側に漂う混沌に過ぎないと見なされます。

 

 本作には、ピアノの調律師が遭遇した非論理的な事象に加えて、作者本人の不思議な体験についても語られています。ヴィトゲンシュタインの言葉に従えば、そうした《語りえぬものごと》は、その意義や価値を問うても意味のないカオスに過ぎないのでしょうか?

 

 ゲイであることを公言した調律師は、自分が良しとする「本当の自分」でありたいと望みました。しかし、この社会を生きていくには、他人の視点が映し出す「現実の自分」を受け入れるしかありません。その結果、親しい友人たちを失い、信頼を寄せていた姉とも仲違いをしてしまいました。ところが、ある女性との出会いをきっかけに、偶然の連鎖が引き起こされ、硬直した人間関係が再構築されます。

 

 私はこの《奇譚》を次のように解釈してみました。

 

 調律師の硬直した人生を動かした「偶然」は、他人の視点による制約が及ばない、この世界の外側からやってきて、現実を再編しました。主人公が本当に必要としていたのはこうした自己の認識の再編そのものだったのではないでしょうか。自力では成し得ないそのプロセスは「語りえぬ」だけでなく、論理的な説明を退けます。ヴィトゲンシュタインの理論は、図らずも世界の外側の存在意義を明らかにしています。

 

 さて、この短編集には非日常的な事柄が次々と登場します。死者の亡霊、神隠し、超常現象、言葉を話す猿など、どれも読み終えたときに温かい気持ちになることを請け負います。次回以降、不定期にご紹介していくのでよろしくお願いします。また、ヴィトゲンシュタインの後年の重要な転向についても、機会があれば触れたいと思います。