『東京奇譚集』の最終話をご紹介します。先の第4話で本短編集の総括をしたばかりなのに順序が逆では?と思われるかもしれません。書いている私自身も当惑気味ですから。ともかく、順番通りにご紹介してその意図を探ってみたいと思います。
《あらすじ》
安藤みずき(旧姓大沢みずき)は、1年ばかり前からときどき自分の名前が思い出せなくなった。相手から出し抜けに名前を尋ねられると、頭の中が空白になり、どうやっても名前が出てこない。ある日、品川区の広報誌で「心の悩み相談室」の記事が目にとまる。みずきは区役所に赴き、女性心理カウンセラーによる週に1度の面談を始めた。
『原因は解明され、正しく処理された』
「私はあなたの名前忘れの原因をみつけたと思うわ」と彼女は誇らしげに言った。「そしてそれを解決できたと思う」「それは、もう私は自分の名前を忘れたりしなくなるってことなのでしょうか?」とみずきは尋ねた。「そのとおり。あなたはもう自分の名前を忘れたりしない。原因は解明され、それは正しく処理されたのだから」
みずきは心理カウンセラーから『大沢みずき』と書かれた名札を受け取った。それは1年前に彼女の家から盗み出されたものだった。誰が何のために盗んだのか?このあと彼女は悩みの解決と引き換えに、心に封印してきた辛い事実と向き合う。
【コンプレックス】
《コンプレックス》と言えば劣等感の意味で使われることが多い概念です。しかし分析心理学では抑圧されながら無意識のなかに存在して、その人の態度や行動に混乱を及ぼす観念を指します。心理学者の河合隼雄は著書のなかで次のように語っています。
コンプレックスは自我の統制外にあるので、それによって起こった障害は、「まったく思いがけない」ものとして感じられ、あるいは「何かに取りつかれた」としか考えらえないような性質のものが多い。コンプレックスは、実際おとぎ話に出てくる小人たちのように、われわれの知らぬ間にいたずらをして、大失敗をさせては喜んでいるように思われる。(『ユング心理学入門』より)
《コンプレックス》は自我にとって容易には受け入れがたい観念です。みずきは親兄弟から愛されない辛さを封印しために、自然な感情の発露を抑圧して生きてきたことに気づきます。それが奇妙な記憶障害、つまり《コンプレックス》の原因でした。本作の『品川猿の名前盗み』こそが河合が語る『小人たちのいたずら』を指しています。
この短編集がユング学説をテーマにしていることは以前ご紹介した通り。作品に登場する人物はいずれも『人を真剣に愛せない』という共通した悩みを抱えていました。そこには、思考型タイプの特徴でもある「感情の未分化」の影響が読み取れます。先の4作品で繰り返された問いかけに、ここにきてようやく一つの答えが示されます。
例えば、思考型の人が内向的であれば感情を育てることで自己の殻を抜け出し、共感の心を育むことができ、逆に外向的であれば感情を伸ばすことで支配的傾向を抑制しつつ、よく気がきく性格を伸ばすことができます。本作は「嫉妬心の欠落」という感情の劣位に着目して、みずきの過去のわだかまりを紐解いて見せました。
さて、ユングは人の性格を思考・感情・感覚・直観の4つの機能に、外向的・内向的要素を掛け合わせた8つの類型で分類しました。村上作品はその先へと物語を推し進めます。それはアカ、アオ、クロ、シロという4人の個性のカラフルな万華鏡を描いた『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』というエポック・メイキングな作品に結実し、人の孤独や絶望の根源を突き詰め、小説の域を超えて人生指南の様相を呈していくのですが・・・内向的直観型*1の私にはこれ以上要領を得た説明をすることができないうえに自分が何を言っているのか分からなくなってきたので、今回はこのあたりで止めておきます(-_-;) ではまた。