本作のタイトルは、ラヴェル作曲の『亡き王女のためのパヴァーヌ』に由来します。この曲の寂しげな旋律は物語のBGMとなって、結末に訪れる喪失感をより高めています。ただ、本作の甘く切ない感じをこの名曲のようにお伝えする力量は私にはありませんので、いつもの堅苦しい心理分析に徹します。
【あらすじ】
美少女で幼いときからスポイルされて育ち、他人を傷つけるのが天才的に上手な彼女。「僕」はそんな彼女が苦手で出来るだけ関わらないように避けていた。ある日、友人たちと雑魚寝をしていた『僕』は。ふと夜中の三時に目を覚まし、彼女を腕まくらして寝ている事に気が付いた。
【スポイルされて育った女の子】
僕は一目見たときから、彼女が苦手だった。僕は僕なりにスポイルされることについてはちょっとした権威だったので、彼女がどれくらいスポイルされて育ってきたか手にとるようにわかった。甘やかされ、ほめあげられ、保護され、ものを与えられ、そんな風にして彼女は大きくなったのだ。
『僕』の彼女に対する第一印象は最悪といっても過言ではありません。彼女の言動を見ているだけでうんざりし、彼女を甘やかした大人たちに憤り、そして彼女自身の努力不足を嘆きます。
僕は変ないきがかりから一度だけ彼女を抱いたことがある。抱いたといってもセックスをしたわけではなく、ただ単に物理的に抱いただけだ。要するに酔払って雑魚寝をしていて、気がついたら隣りにたまたま彼女がいたというだけのことなのだ。よくある話だ。でも僕はその時のことを今でも奇妙なくらいはっきりと覚えている。
『僕』はそういった状況に追い込まれたことに腹を立てながらも、息を潜めて抱き合ったあとで、再び眠りにつきます。その時の彼女の息づかいと肌のぬくもりとやわらかな乳房の感触は、忘れられない記憶となって残りました。
【リビドーとイド】
心理学者のユングは、人の心の奥底に存在する根源的なエネルギーを《リビドー》と呼びました。それが意識に浮上するとき、性的衝動性だけでなく主体性や創造性、自己実現、成長促進といった行動意欲を駆り立てるとされます。
「僕」が彼女に向ける厳しい倫理観も、彼女に求めた甘美な官能も、どちらも意識下に封印されていた《リビドー》の解放によって生じます。本作にはそんな制御不能な心的エネルギーを、驚きと戸惑いをもって受け止める青年の姿が描かれています。
《リビドー》は《無意識(イド)》の奥深くに封印された生の神秘です。後に村上作品はこの未知の領域《イド》を『井戸』という比喩に置き換えて踏み込んでいくのですが、それについてはまた別の機会に。