この物語に登場するビリー・ジョエルの楽曲は、ボクのお気に入りのひとつです。『コンツェルト(旧ソ連でのライブツアーアルバム)』の中にあるその曲を繰り返し聴いています。昨今では彼の離婚と再婚の話題くらいしか聞こえてきませんが、お元気なのでしょうか(*´з`)
《あらすじ》
ある会員制のスポーツ・クラブのプールサイドにあるカフェテラスで彼が語った話。自他ともに充実した人生を送ってきた彼は35回目の誕生日を自分の人生の折りかえし点と定めることに一片の迷いも持たなかったという。折りかえしが始まる朝、なぜか熱い涙が次から次へとこぼれ落ちるのを彼は止めることが出来なかった。
『35歳の誕生日の翌日』
ビリー・ジョエルは今度はヴェトナム戦争についての唄を歌っている。妻はまだアイロンをかけつづけている。何ひとつとして申し分はない。しかし気がついた時、彼は泣いていた。
35歳の誕生日の翌朝、どうして自分が泣いているのか、彼には理解できません。彼は生まれて初めて、自分自身の中に言葉にできない「把握不能な何か」が潜んでいることを感じ取っていました。
【人生の正午】
心理学者のカール・ユングは、人生を太陽の動きになぞらえて、人生の中間地点を《人生の正午》と名付けました。天頂に達した太陽が正午を境に傾き始めるように、私たちの人生も「人生の正午」を過ぎると、成長の方向から沈静の方向へと変わっていきます。
例えば、思春期に自分が何者であるか分からず悩んだように、中年期に差し掛かった頃にも生き方について葛藤が始まります。この第二の思春期とも言える転換期は、別名《中年の危機(ミッドライフ・クライシス)》と呼ばれています。
物語に登場する35歳の男性は、自分の人生を理解しようとして、小説家に彼の人生の物語化を依頼しました。しかし、出来上がった作品にはただ事実を淡々と描写したものでした。それとは対照的に、その朝に聴いたという『ヴェトナム戦争についての唄』にはこんなフレーズが歌われていました。
誰が間違っていようが、誰が正解であろうが、
戦場ではそんなものは関係ない。
昼間に奪ったものは、夜には奪い返される。
僕らは海岸線を死守し、彼らは高地を陣取った。
そして、誰もがナイフのように研ぎ澄まされていった。
……(中略)……
僕らはみんな一緒に倒れていくんだ。
僕らはみんな一緒にやられていくんだ。
僕らはみんな一緒に死んでいくんだ。(『グッドナイト・サイゴン』より)
この歌詞が象徴するように、「人生の正午」を過ぎた私たちは、それまでの価値観が揺らぐ転換点に立たされます。何が正しいか間違いか、何を得たか失ったか、そんなことは《人生の正午》の前では何の意味も成しません。人生を目指して乗り越えた峠の先に、死への下り坂が待っていた、という厳然たる事実だけが突き付けられます。その価値の転換と矛盾を受け入れる事。ただそれだけのことが問われているのではないでしょうか。
人生の午後を生きるご同輩、一緒に覚悟を決めて進んでいこうではありませんか!