村上春樹レヴューのブログ

自称村上主義者の私が独自の切り口で作品をご紹介します。

【③淡いピンクのロースト 】(『人生のちょっとした煩い』より)

Amazonより

 グレイス・ペイリーは作家活動以外にも公民権運動、フェミニズム運動、環境保護活動などの政治活動で知られています。ヴェトナム反戦運動では何度も逮捕されるうちに知名度を上げ、難解とされる彼女の作品もカリスマ的な人気を獲得していきます。

 

 さて、本作は別れた夫に電話をして子供をあずかってほしいと頼む女性アンナのお話です。お調子者のピーターは、別れた妻アンナを心配してすぐに助けにやってきました。

 

『誰が敵なのかしら』

「さ、行こう。君の新しい住まいを見てみたい。(中略)トランクのひとつやふたつ、運んであげられる。重いものならなんでもござれだ。運び込んだ分だけ、人生は豊かになる。そうだよな?子供はどこかに預けちゃおうぜ。なにも僕は君の敵じゃないんだからさ」「じゃあ誰が敵なのかしら?」と彼女は尋ねた。「だからさ、いちいちからむなって、アンナ。ほんとだよ。」

 

 ピーターは決して悪い人間ではないが、思慮の浅い極楽とんぼ。彼を見るアンナの態度はあくまでも冷ややかで、戯言を聞いているうちに彼女の目に映る男はただの『淡いピンクのロースト』と化していく。そんな流れを通じて軽い気持ちでSEXに興じるが・・・。

 

フェミニズム黎明期の女流文学】

 ピーターのダメンズぶりと一段高い位置からそれを見下ろすアンナ、という構図がコミカルに描かれています。かといってアンナが女性として高潔かと言えばそうでもありません。ピーターから不貞を非難されると、とっさに涙を流して詭弁を弄するあたりに彼女のダメ女ぶりが露呈します。

 

 本作が発表された1950年代は、フェミニズム第一世代と呼ばれる黎明期。文学においては「ファム・ファタール*1」と呼ばれるステレオタイプな女性像が依然としてもてはやされていました。本作のようにガールズ・トークさながらのゴシップを文学に持ち込むことは、当時としては異例なことであったと思われます。

 

 本作のように、賢さも愚かさも併せ持つ女性が自由に「声」を発することが、グレイス・ペイリーの創作の原点にありました。フェミニズム運動はこのあと様々な紆余曲折を経ていきますが、彼女の理念はその黎明期から近年に至るまで一貫しているように思えます。それにしても臆面もなく男を『淡いピンクのロースト』と表現するところに、彼女のカリスマ性の兆しが感じられます(笑)

*1:ファム・ファタール妖艶かつ魅惑的な容姿や性格で、男を意のままに操る魔性の女性像。